详情介绍
薄樱鬼风之章pc版是一款恋爱养成类的游戏。我们不仅能当做适当的休闲娱乐游戏,而且可以方便的和乙女一起成长。游戏中会遇到各色各样的武士,你可以控制乙女的很多喜好,进行选择。本作是《薄樱鬼》系列第1部的重制版,包含原版内容,并进行一些剧情和角色修改。玩家在游戏中可以攻略永仓、山南敬助、山崎丞、土方岁三、冲田总司等新旧成员,体验更丰富的故事情节。玩家是一位在19世纪的日本寻找自己父亲的女孩。背景设置为幕末时代,文久三年── 为了寻找失去音讯的父亲,名叫雪村千鹤的少女从江户只身来到京都。当她在陌生的京都遭到浪人们袭击时,遇到了渴求鲜血的怪物。以及,斩杀那些怪物的新选组队士── 千鹤因缘际会下,开始与新选组一同行动。在寻找父亲时,神秘的剑士们出现在千鹤与新选组面前。而新选组隐瞒的秘密──罗刹的存在──也渐渐揭开。这个故事讲述着在混乱的时代中,怀抱理想和信念而挥舞刀剑的男人们,及亲眼见证他们的身影,选择与他们共进退的少女。所以,喜欢这类游戏的朋友,不妨来试试哦!游戏配置要求较高,请谨慎安装。
操作系统:Windows 10
CPU:Intel i5 2.6GHz or equivalent
内存:8GB RAM
显卡:DirectX 10 compatible video card
存储空间:需要27GB可用空间
最低配置
操作系统:Windows 7 or better
CPU:Intel i5 1.8GHz or equivalent
内存:4GB RAM
显卡:DirectX 10 compatible video card
存储空间:需要27GB可用空间
第一章
何とかして逃げる
逃げ出す
部屋で大人しくする
そんな気がします
手伝いを申し出る
土方の小姓
事情を説明する
第二章
大人しくしている
必ず伝えます
土方さんについて行く
覚えてなくてすみません
参加してみたい
天王山へ
永倉さんを止める
そのまま駆ける
留守を預かる者として……
第三章
素直に部屋に戻る
広間に残る
大丈夫です
この場に残る
剣をかまえる
小太刀に手をかける
やっぱり抜かない
自分でする
仕事に専念する
彼ら鬼の存在
私が羅刹を研究する
制札のこと
複雑な心地
第四章
隊士のこと
偉い人
いる
事情も知らないのに
攻撃に転じる
何が食べたいですか?
それでも手伝いたい
伊東さんの対応
何か手伝いたい
土方さんを手伝う
土方さんを信じる
すぐに戻る
第五章
出て行くべきだけど……
返す
仇をとる
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・土方歳三より
好感度低で開始
出て行くしかない
Save1
仇を取る
↓
悲恋エンド
Save1より
逃げる
↓
バッドエンド
冲田总司
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
誰かに頼んでみる
私の腕を確かめるため
大人しく部屋へ戻る
留守番をする
第二章
外に出て父を探す
沖田さんを探す
敵の気を逸らす
留守番してます
中庭に行ってみる
「確かにそうかもしれない」
第三章
薬について調べる
南部邸を調べる
声を張り上げる
屯所に戻る
でも……
沖田さん
言いません
自分でする
沖田さんが心配
追いかける
羅刹のこと
沖田さんて器用ですね
第四章
隊士のこと
中立の人
いる
皆の所に行く
事情も知らないのに
腕から逃れる
好きな食べ物を用意します
留守番をする
沖田さんが心配
沖田さんを止める
そんなの嫌です
大人しくする
第五章
正しい道を歩んで欲しい
沖田さんが心配だから
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・沖田総司編より
好感度低で開始
近藤さんが悲しみます!
Save1
止めても無駄ですから
↓
バッドエンド
Save1より
沖田さんが心配ですから
↓
悲恋エンド
斋藤一
第一章
事情を説明する
京に来た理由を話す
誰かに頼んでみる
やはりできない
大人しく部屋へ戻る
伏見に行く
いいんですか
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
池田屋に向かう
斉藤さんについて行く
参加してみたい
蛤御門へ
斉藤さんを信じる
少しわかる気がして
第三章
素直に部屋へ戻る
中庭に行く
この場に残る
味方を呼ぶ
わかりました
自分でする
沖田さんが心配
先回りする
羅刹のこと
一緒に遊びませんか?
第四章
衛士のこと
そんなのひどい
いる
屯所の外に行く
大人しくする
心配かけてすみません
留守番をする
何か手伝いたい
土方さんを信じる
少し話したい
第五章
今は退却しましょう
斉藤さんを止める
わかりました
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・斉藤一編より
好感度低で開始
斉藤さんなら勝てます
Save1
斉藤さんを止める
↓
悲恋エンド
Save1より
風間さんについて行く
↓
バッドエンド
藤堂平助
第一章
事情を説明する
私、男じゃないです
屯所を探索する
いつか機会があれば
手伝いを申し出る
うれしかったから
巡察に付き合う
違います
第二章
外に出て父を探す
平助君を探す
平助君を手伝う
留守番してます
大広間に行ってみる
出過ぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸について調べる
山南さんを説得
屯所に戻る
でも……
平助君
もう、大丈夫
自分でする
仕事に専念する
父のこと
羅刹のこと
ごめんね、援護が足りなくて
第四章
衛士のこと
残ってください
いる
屯所の外に行く
大声を上げる
私は大丈夫!
それでも手伝いたい
平助君の説得
平助君が気になる
そばにいたい
大人しくする
第五章
そんなことないよ
我慢させる
傍にいたいから
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・藤堂平助編より
好感度低で開始
解放されたんだね
Save1
我慢させる
↓
悲恋エンド
Save1より
薬を与える
↓
バッドエンド
原田佐之助
第一章
事情を説明する
……諦めよう
屯所を探索する
やっぱり駄目です
大人しく部屋に戻る
ありがとうございます
巡察に付き合う
違います
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
池田やに向かう
原田さんについて行く
参加してみたい
公家御門へ
不知火さんを追い払う
出過ぎたことを言いました
第三章
素直に部屋に戻る
外に出る
当たり前の望み
この場に残る
動かない
原田さんを信じる
自分でする
仕事に専念する
私を狙う理由
制札のこと
不思議な気分
そんなに元気なさそうでしたか?
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
いる
皆の所に行く
事情も知らないのに
皆を信じる
大勢での食事は楽しいです
それでも手伝いたい
平助君の説得
鬼たちと交渉する
大人しくする
第五章
簡単には言えない
呑むふりだけでも
逃げる
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・原田佐之助編より
好感度低で開始
言っても仕方のないこと
Save1
逃げる
↓
悲恋エンド
Save1より
戦う
↓
バッドエンド
风间千景
第一章
何とかして逃げる
逃げ出す
屯所を探索する
やっぱり駄目です
大人しく部屋に戻る
土方の小姓
事情を説明する
第二章
外に出て父を探す
様子を見る
二階に行く
お礼を言う
患者さんだったんですか?
参加してみたい
天王山へ
永倉さんを止める
立ち止まる
出過ぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
山南さんを説得
この場に残る
小太刀に手を掛ける
小太刀を抜く
自分でする
仕事に専念する
鬼に作り替える事
聞かない
それでも彼らを信じます
羅刹のこと
第四章
伊東さんを知っている人
そうでしょうか
相手をする
いない
皆の所に行く
父の責任は私が
腕から逃れる
留守番をする
大人しくする
第五章
あなたたちこそ化け物
雪村家の頭領ですから
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・風間千景編より
好感度低で開始
そうかもしれない
Save1
雪村家の頭領ですから
↓
悲恋エンド
Save1より
綱道の娘ですから
↓
バッドエンド
接下来是新可攻略人物= ̄ω ̄=
新可攻略人物-永仓新八
第一章
事情を説明する
京にきた理由を話す
屯所を探索する
やっぱり駄目です
大人しく部屋に戻る
巡察に付き合う
違います
第二章
外に出て父を探す
様子を見る
永倉さんが心配
診せてください
参加してみたい
天王山へ
一緒に戦います
そうでしょうか
そっとしておく
第三章
素直に部屋へ戻る
自室へ戻る
生きていてよかったです
この場に残る
動かない
このままじゃ……
自分でする
仕事に専念する
私を狙う理由
駄目です
お千ちゃんのこと
なんとなくわかります
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
そんなことありません
いる
じっとしている
部屋の外に逃げる
助けを求める
無茶はしないでください
私もなれますか
それでも手伝いたい
なんでもします
永倉さんを追う
大人しくする
第五章
わかりました
行かないと駄目なんですか
まだこれからです
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・永倉新八編より
好感度低で開始
帰ってきますよね
Save1
まだこれからです
↓
悲恋エンド
Save1より
残念ですね
↓
バッドエンド
新可攻略人物-山南敬助
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
留守番をする
第二章
大人しくしている
行きます
必ず伝えます
土方さんについて行く
留守番してます
大広間に行ってみる
出すぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
山南さんを説得
屯所に戻る
でも……
平助君
……うん
自分でする
仕事に専念する
鬼に作り替えること
聞きたい
山南さんの手を取る
羅刹のこと
第四章
隊士のこと
伊東さんを知っている人
そう思います
いる
じっとしている
部屋の外に逃げる
風間さんと戦う
山南さんを信じる
わかってくれます
それでも手伝いたい
何でもします
この場に残る
山南さんにまかせる
よろしくお願いします
大人しくする
第五章
本当に治ると信じてるの?
理由を尋ねる
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・山南敬助編より
好感度低で開始
沖田さんは大丈夫です
Save1
理由を尋ねる
↓
悲恋エンド
Save1より
とがめる
↓
バッドエンド
新可攻略人物-山崎烝
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
土方の小姓
事情を説明する
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
土方さんについて行く
患者さんだったんですか?
参加してみたい
蛤御門へ向かう
戦ってほしくない
出すぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
声を張り上げる
屯所に戻る
そうですね
沖田さん
でも……
お願いする
沖田さんが心配
先回りする
そっとしておく
羅刹のこと
気がつきませんでした
第四章
衛士のこと
そんなのひどい
いる
じっとしている
部屋でじっとする
仲間だから
わかってくれます
留守番をする
何か手伝いたい
土方さんに確認する
これからもお願いします
第五章
離れるのが怖いから
気持ちは分かります
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・山崎烝編より
好感度低で開始
役に立ちたいから
Save1
気持ちは分かります
↓
悲恋エンド
Save1より
山崎さんも戦っています
↓
バッドエンド
新可攻略人物-伊庭八郎
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
土方の小姓
武田さんの事を詫びる
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
土方さんについて行く
覚えてなくてすみません
留守番しています
大広間へ行く
散歩
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
声を張り上げる
傷のことを隠す
自分でする
人を呼ぶ
仕事に専念する
父のこと
何かあったら
制札のこと
複雑な心地
私を守る理由……?
第四章
隊士のこと
偉い人
取り戻す
いない
皆の所に行く
事情も知らないのに
皆を信じる
真撰組がいます
大人しくする
第五章
副長の命令なら
わかりました
止めない
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・伊庭八郎編より
好感度低で開始
嫌です
私も戦います
Save1
止めない
↓
悲恋エンド
Save1より
止める
↓
バッドエンド
新可攻略人物-坂本龙马
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
伏見に行く
いえ、大丈夫です
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
山崎さんが行くべき
池田屋に向かう
原田さんについて行く
留守番しています
大広間に行ってみる
聞くのをやめる
第三章
素直に部屋に戻る
外に出る
今は過ぎた望み
Save1
留守番をする
すみません
自分でする
仕事に専念する
父の事
助けてくれる人を呼びに行く
そうでしょうか
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
本当は良い人です
いない
屯所の外に行く
大声を上げる
私、やります
一緒に行く
何か手伝いたい
土方さんを信じる
すぐに戻る
第五章
行かない
留まって坂本さんに会う
坂本さんが信用するなら
Save1より
同行する
屯所に戻る
でも……
平助君
……うん
自分でする
仕事に専念する
父の事
羅刹のこと
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
いない
屯所の外に行く
大声を上げる
留守番をする
何か手伝いたい
土方さんを信じる
すぐに戻る
第五章
↓
ノーマルエンド
行軍録→第五章・坂本龍馬編より
好感度低で開始
行かない
留まって坂本さんに会う
Save2
できません
↓
悲恋エンド
行軍録→第五章・坂本龍馬編より
好感度低で開始
行く
なんとかして逃げ出す
Save2
坂本さんが信用するなら
↓
バッドエンド
Save2より
できません
↓
バッドエンド
新可攻略人物-相马主计
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
巡察に付き合う
小姓です
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
山崎さんが行くべき
池田屋に向かう
原田さんについて行く
留守番しています
大広間に行ってみる
とりあえず返事をする
第三章
素直に部屋に戻る
外に出る
今は過ぎた望み
屯所に戻る
でも……
沖田さん
でも……
自分でする
仕事に専念する
父の事
よかったな、と思って
沖田さん
真撰組の一員です
第四章
役に立っている
いる
事情を説明しない
父と話したい
それでも手伝いたい
伊東さんの対応
聞きたい
叶ったんですか?
第五章
ここに残ります
諦めない
相馬君を止める
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・相馬主計編より
好感度低で開始
…………
Save1
諦めない
相馬君を止めない
Save1より
諦める
↓
バッドエンド
1839年5月23日 ~ 1915年1月5日
·出生地:松前藩
·剑道:神道无念流
·生平事迹
原籍松前藩(今北海道松前郡),为担任松前藩江户定府代理永仓勘次的次男。
弘化3年(1846年)8岁进入冈田十松(第三代掌门人)的神道无念流剣术道场“击剣馆”门下修习剑术,4年后为师死亡由继任第四代掌门人冈田助右卫门教导并授与切纸认可。
安政3年(1856年)18岁升格为目录级等,成年后改名为新八。
1857年获得“神道无念流免许皆传”认可后【新八19岁就神道无念流的免许皆传了~ 新选组真的是精英的集结地啊】,次年为了精进剑术迳行诸国武者修行之旅而脱藩,途中路经江戸牛込的天然理心流试卫馆道场,受武州多摩地方门人与近藤勇邀请成为试卫馆食客。
和近藤参加浪士组上京后,在新撰组时期担任组织核心的二番队队长。由于与芹泽鸭同样握有神道无念流免许皆传的认可与实力,与芹沢为匪浅之亲交。
元治元年(1864年),在冲田病倒、藤堂平助受伤的情况下,永仓新八仍像个狮子般和近藤勇、土方岁三在池田屋中奋力杀敌,断绝倒幕派浪人火烧京都的野心。
池田屋事件后远近驰名的近藤等人,难免被世人与幕府捧得飘飘然,对队士和下属目空一切。对此感到遗憾的永仓,与原田左之助、岛田魁冒着违反局中法度切腹的风险脱离新撰组住所向松平容保上书【永仓好像因为近藤不止上书过一次啊,感觉他与领导的相处风格跟我好像哈哈】,认为近藤勇已违背了局中法度。收到投诉书的松平容保要求近藤勇改善,而近藤勇也视永仓等人为同志而非君臣的立场接受了永仓的谏言。
油小路事件时永仓也参与其中,然而近藤勇亦私下交待“让藤堂活下来!”──毕竟藤堂也是由试卫馆时期便一同奋斗的伙伴。但是这样的密令到最后仍旧无法达成,藤堂平助依然在混战中战死。
冲田总司病重之际,永仓也负起带领第一队的重责大任。
从1868年(庆应4年)与新政府军战斗的戊辰戦争,到后来京都的鸟羽伏见之战,在枪林弹雨中永仓率领的敢死队给了萨长联军相当深刻的印象。战败后仍率领着原新撰组改名的甲阳镇抚队奋力战斗,然在甲州胜沼之战依旧不敌装备精良的新政府军,率领剩余残部撤退到江户。
但是后来,永仓跟近藤与土方不和,与原田自组靖兵队(靖共队)奋战。然而在米泽藩等待会津藩援军时,得知会津藩已经投降后,永仓回到江户并接受松前藩之保护。后成为藩医杉村介庵的婿养子。
明治后明治四年(1871年),永仓新八在北海道,与医生杉村介庵的女儿结婚,后改名杉村义卫,继承杉村家户主。
明治九年(1876年),杉村义卫从北海道到板桥(近藤处刑地)建立新选组坟墓。
明治十五年至十九年(1882年-1886年),杉村义卫就职北海道月形村桦戸监狱的的剑术教练。
明治二十七年(1894年),中日甲午战争爆发,57岁的永仓也表示要志?参加拔刀队,但是被婉拒;永仓便笑说“如果和前新撰组队士联手,那些萨摩的看来就没面子啦!”
大正四年(1915年)1月5日,在北海道小樽市渡过晚年的杉村义卫病死。
【新八的一生真的都是站在新选组的立场上生活的,因为近藤的飘飘然而勇敢谏言,感觉到失去初衷的时候离开了新选组却依然在战斗,建立新选组坟墓、撰写新选组事迹的书籍,年过半百还在念叨萨摩和新撰组的事情,这一点真的让人特别感动QVQ】
·性格
永仓新八耿直得有些固执,不知变通,为人重义,素来极度反感暗杀【大概刺杀芹泽鸭的时候没有新八的参与,除了他与芹泽同门交好外,这也是理由之一】、不公平之事,主张武士道义为先,反对严酷法度,机制化带来的权力过度集中,在肃清芹泽鸭、逼死山南事件上矛盾激化,后更是自组力量,反抗维新势力。
永仓新八性格极强,是个硬汉。新选组历经池田屋一战成名,他开始担任二番组长,举止稳重,处事有自己的一套,粗中有细的特质,使其当之无愧,而为土方所看中。
·关系
对冲田总司爱护有加,对于山南,他十分的钦佩其才学,为人处事的光明正大,在其死后,黯然神伤。而左之助,两人更是形影不离。
局势、时代的变迁,新选组与其愈来愈格格不入,永仓决然出走,给了近藤勇极大的打击。后于左之助一起加入了彰义队,继续与萨摩同盟战斗。
真正的永仓长了张娃娃脸,身材也很矮小。可是令人惊讶的是他在新撰组时却同时跟好几位女往。岛原龟屋的艺妓小常在庆应三年7月为他生下一个孩子矶子,小常本人于新撰组退守伏见时病死,明治之后永仓前往关西与矶子再会。矶子死于明治36年。除了那位小常,传说永仓还同大阪吉田屋阿鹿、品川的某个女子有关系。他这种风流行为发展到最后,妻子差点跟他分居。【喂喂?】
【永仓新八所撰写的有关新选组的书籍,虽然书中不乏夸张之辞,也毫无疑问是后世考据的重要资料之一】
【山南敬助】
1833年 ~ 1865年3月20日
·出身:陆奥国仙台(宫城县)
·流派:北辰一刀流、天然理心流
·生平事迹
【博古通今,气质儒雅的文武全才——总长 山南敬助,北辰一刀流免许皆传。】
【我真的非常喜欢温柔亲和的山南先生,有史书说冲田总司去追山南的时候有意放山南离开,但山南敬助为了总司而决定跟他回去。对话记不太清了,大概是这样的:
总司:“山南先生,我此行的目的,你知道的吧?”
山南点点头,然后总司就安心的睡着了,谁知醒来的时候发现山南依旧在身边。
总司:“您为什么不离开呢?近藤先生只派了我一个人来,我想他就是希望我让您离开啊!”
山南:“不,我想他只让你一人前来,正是认准了我一定会跟你回去。”
如果山南不回去,受到处罚的就将是总司了,即使这时候总司已经时日无多,但山南还是让总司好好过完最后的岁月。】
从仙台藩脱藩后,前往江戸,山南在仙台也用三南这个姓,但详情不明。有得到小野派一刀流免许皆传的身份,之后成为北辰一刀流・千叶周作的门人。
前往近藤勇的天然理心流剑术道场试卫馆挑战,但败给近藤。这时对于近藤的剑术和人品感到钦佩,进而开始仰慕近藤。以后与试卫馆的门人一起行动。并且与这些聚集在试卫馆的土方岁三、冲田总司、永仓新八等人成为之后新选组的干部。
文久元年(1860年)8月,在府中六所宫进行近藤就任天然理心流第四代传人的野外比赛,而敬助也以红军身分参与比赛。
文久2年正月时、与冲田总司一起出差到小野路教授剑术。
新选组文久3年2月,与近藤加入了以保护将军和尊王攘夷为目的,由清河八郎所提案组成的浪士组并且成为上洛的壬生浪士组中的一员。
3月26日,为了争夺队内的权力而与近藤、芹泽鸭一起在四条大桥暗杀殿内义雄。壬生浪士组也就这样成为近藤派和芹泽派两派所组成的组织,近藤和芹泽担任局长、山南作为近藤派与土方岁三一起就任局长助(副长)(至于芹泽派则是由新见锦就任局长助)。以尊王攘夷为目的所组成的浪士组,被会津藩收编成为专门取缔不法浪人的组织。
文久3年7月时、山南和土方一起在和服商“岩城升屋”里的激烈战斗中击退数名闯入的不法浪人。
之后山南也参加8月18日政变并且在两天后与土方一起斩杀掉潜伏在京都的长州系浪人。
文久3年(1863年)的9月,参与老早就和近藤不合的芹泽鸭暗杀活动。因此浪士组被近藤派(试卫馆派)所统一,组织重新改造并由山南担任总长,他的地位则处于局长近藤、副长土方岁三之间。
但是从暗杀事件到后来的切腹事件,山南的名字却从新选组的活动纪录中消失。
【这里的说法不一致,生病、信念、手伤等等,个人比较赞成手伤说】
【手伤说是一个推测。
出自小岛家传承的【异闻录】里描绘的一副血刀图
血刀图里描画,有断刃和切口的刀共3把,
特别是正中间那把刀已经断开,大量的血糊附着在上面
血刀图右侧处,对刀的形状有如下记载
「总长三尺八寸五分,刀尖向下一尺一寸处断裂
锷先二尺八寸五分,中心以寸,巾一寸一分五厘,锋三分一厘 刀疵四处」
在这之下附带着这样的说明(十分直白的翻译。。。汗。。。)
「新撰组局长助山南敬助,讨伐乱入岩木升屋浪士之时,刀折断。
从会津候处拜领了金八两的嘉赏。
然后中心处标了「摄州住人赤心冲光作」的铭文。
那把刀的那道豁然的断口和几乎遍布刀身的血糊十分地触目惊心,
是不是刀的主人也受了很重的伤呢。
于是就产生了受伤说这个推测。】
而在元治元年6月的池田屋事件山南也没参加。(有一说是山南因为生病而在基地留守。)
元治元年(1864年)11月,伊东甲子太郎入队。
伊东和山南都属于同门的北辰一刀流,而且伊东是热烈的尊王攘夷论者、学问也相当高。所以他受到特别的待遇并且升上比山南地位还高的参谋位置。【QAQ我其实不讨厌伊东,真的一点也不讨厌,但是我喜欢不起来他。我总觉得是他抢走了山南先生的位置。】
元治2年(1865年)2月,山南留下“前往江戸”的纸条并且就这样脱离新选组。
近藤和土方派遣总司担任追捕的工作,并且在近江国大津找到山南,将他带回基地里。
关于山南逃走的原因有以下各个说法。
根据西本愿寺侍臣西村兼文的说法,逼迫山南逃走的原因是基地转移的问题。由于新选组把基地移转到西本愿寺,但因为队员增加使得基地更为狭小,而且西本愿寺的勤王色彩相当浓厚。【原谅我没明白这个理由,大概是因为逼迫出家人让出地盘,而且这些出家人还是勤王思想什么的?也有部分原因是山南认为用武力去强迫出家人这样的做法太……】和长州藩的关系亲密,使得土方想要一举根绝这个关系。所以土方坚决反对寺方迁移基地的要求并且中止这个行动。但勤王意志相当强的山南则强力反对土方的作法,并且近藤和土方就这件事完全没有交集。使得山南对于对方的作为相当不满,造成山南终于下定决心脱离新选组。山南对于当初以尊王攘夷为目的所组成,但实际上却是不断压迫这些勤王志士的新选组感到疑惑,因此决定脱逃。
和之后脱离新选组的伊东有密约,所以预先离开新选组。【(╯‵□′)╯︵┴─┴这个理由大家请无视,原谅我无法认同!或者说我心里不愿意认同。】
根据平成10年所找到的浪士文久报国记事(永仓新八的手记),元治元年(1864年)6月26日因为山南生病被从发生禁门之变的根据地调到新选组基地担任守备工作而无法被写入禁门之变的事迹里,因此对于自己的病感到苦恼。【这点看来是支持生病说的论证~】
因为山南和担任干部的好友永仓新八所推荐的伊东从新选组脱逃,使得山南决意赴死。由于永仓的好心帮助,让山南的红粉知己岛原(地名)艺妓天神明里在山南死之前和他见面并且还流传着明里与山南决别的悲剧故事(但在永仓的手记“新撰组颠末记”和“浪士文久报国记事”中都没有关于明里的记述、所以这段是子母泽寛创作的可能性相当高,山南死后,冲田似乎帮他照顾着明里。据说明里因为肺结核而死,所以冲田因此被她传染,最后也因为肺结核而死)【卧槽?不是的吧】。
元治2年(1865年)2月23日,山南切腹。
而介错的人由山南所希望并且就像是他弟弟一样的冲田总司担任执行。享年33岁。
这次的切腹,近藤以“浅野内匠头(赤穗浪士的主人,因为砍伤吉良义央,被迫切腹谢罪)这样的人也没办法那么漂亮的结束自己生命”加以赞赏。山南敬助也因为这样被新选组的人所加以敬佩,而以鬼副长有名的土方岁三也在山南切腹的时候掉下了眼泪。
山南的墓所位于京都的光缘寺。
“ 春风に吹き诱われて山桜 散りてぞ人に惜しまれるかな ”“ 吹く风にしぼまんよりも山桜 散りてあとなき花ぞ勇まし ”
【翻译:诱惑春风吹来的山樱,散落之后被人怜惜。 因风而凋零的山樱,花散勇犹存。】
— 伊东甲子太郎
据说山南因为其温厚的性格而被壬生村附近的孩子和女孩所仰慕著。
身材娇小而且有着皮肤白皙充满魅力的脸孔。
在8月18日政变出动时、近藤和土方自己穿着盔甲但却没有把盔甲交给身为总长的山南,因而激怒了他,后来是靠著松原忠司的居间劝诫才解决。
在2004年NHK的大河剧“新选组!”,有山南切腹的第33集“友の死”是在49集中唯一破例重新播出的一集。并且在播出时得到一番的反响,其中还有部份狂热的戏迷写信给电视台要求“请不要杀死山南”
【转一篇大河剧山南敬助的追悼文,作者:雪菱泽雅
文久3年(公元1863年),时代之风依旧凛冽,那些聚集在“诚”字大旗下,笃信着刀与剑的青年并不知道,自己即将走到了历史的风尖浪口。
新撰组的历史只有短暂的五年,却被矛盾与斗争、背叛与肃整所充斥,写尽了一个团体人与人之间的复杂的羁连。
提起新撰组,恐怕首先会想到的那个冷酷铁血却才华横溢的鬼副长-土方岁三,或是英年早世的天才少年-冲田总司。可是,有多少人知道,新撰组还有一位博古通今,气质儒雅的文武全才——总长 山南敬助,北辰一刀流免许皆传。
又有多少人知道,在元治二年(公元一八六五年)的二月二十三,这个春花尚未完全绽放的日子里,这个刚过三十不久的男子,怀着对新撰组最深沉的感情无奈地离去,在尚未目睹江户的黎明,便结束了自己的生命,残酷而悲壮。
推动历史前进的不是人的想法与观点,而是人与人之间的联系
“近藤君,不管发生什么,请按照自己的想法走下去。”脱走之前,山南对近藤说的。
“你的剑尖太向下了,这是你的老毛病了。”脱走之前,山南对冲田说的。
“你没有错,就用我的死让新撰组更加团结一心吧!”切腹之前,山南对土方说的
山南作为总长,与任性的土方不同。
这个性格淡然温柔深邃的男子,总是噙着若有似无的微笑。
却能犀利地洞察着新撰组成员中隐藏着的复杂的矛盾与利害关系,努力维系着队士间表面上的平和。
表面上的平和呐,这正是山南悲剧的所在。
为什么要如此尽心尽力地为了新撰组呢?只是为了这个国家的未来。
但是,却渐渐发现自己为新撰组找到的道路似乎与时代的方向之间出现了偏差,而这个组织的其他领导者却并没有完全接纳自己,渐渐地遭受着排挤与冷遇。
早知如此,当初为何要自愿踏入这个束缚中来?那个叫做近藤勇的男人,真的是值得自己付出一切的人么?
同门的坂本龙马能做到的,自己为什么不能做到?
如果他像土方,就可以与魔鬼副长争权夺利;如果他像芹泽,就可以蛮横地在组内推行自己的主张;如果他像桂,就可以毫无羁绊地去寻找最适合自己的道路。
但是正因为他是山南,所以他的性格和责任感让他什么都做不了。
也许这是所谓的性格决定命运,也或许这原本就是命运的牵引。
只是到最后的最后,山南对近藤说:
“我从未后悔过推开试卫馆的门。”
山南还是走了。
纵有百般眷恋,可是这里已经容不下他了。
起草建白书之人的惨死,不断的不需要以及需要内斗持续上演。山南无法沉默下去,既然改变不了什么,又不愿,也不忍看到它的覆灭,那么就只有离去!
临走时,山南朝诚字灯笼深深鞠了一个躬。
迈开了大步,他再次停了下来,是总司,深浓的夜色笼罩下,总司独自一人在练剑,山南藏起简单的行李,走向挥汗如雨的总司:“剑尖太下,那是你的老毛病了。”总司露出孩子般灿烂的笑靥:“山南先生,总是那么细心。”山南又一次展现他那招牌的笑,只是这笑里全是苦的。
突然想起了山南曾经说过的一句话:
“你知道这句话吗?想吃与不吃之间还是不吃好,想着死与死之间还是死好……”
已是天光已经大亮,山南放慢脚步,配合着一无所知的心爱的女子明里,一路似在郊游。
吃着手里的丸子,那女子问:“吃到还剩最后那个丸子时,就会被尖端扎到喉咙。你说该怎么办才能既吃到丸子,又不扎到?”
山南呆住了,这个问题人们都曾遇到,但没有人去细思,自己一时也找不到答案。
女子笑了:“竟然有连山南先生都想不到的,其实很简单,只要把窜丸子的棍子倒过来,就可以做到了。”
山南猛然醒悟,他长叹一声,在这时他也瞥见了故意策马慢行追来的沖田。
山南走过去,站住了,在沖田的马前,这次山南笑了,一如既往,云淡风轻。
不如归去,不如归去……
沖田问:“为什么要走?要逃避?”
山南回答:“因为我累了,很累,已经走不下去了。”
对想放行的沖田,山南拒绝了。
“我身为新选组的总长,就要做到底。
我的死,不为别的,只为了新选组的团结。
我想要沖田担任我的介错。”
“为什么,我喜欢的人都死在我的刀下,我并不是为了这种理由才学习剑术的!”
冲田其实还只是个孩子,山南却要用死亡残酷地逼他成长。
其实,近藤让冲田而不是斋藤去找山南,是因为他希望山南可以逃走。
和近藤、总司一样,几乎所有人希望山南能逃走,山南却还是回来了。
于是,所有人都恨土方,恨《局中法度》。
但是,山南知道,土方没有错,错的只是这个时代而已。
这个一直微笑的人,即使在切腹的时候,仍然带着那样的表情,是不是也是一种执着呢?
其实,山南也是个任性的人。
任性地脱走,任性地回来,任性地让冲田担当介挫,任性地让所有坚强的人哭。
也或许,他一开始就一心求死。
想死于死之间还是死好。
不亡待尽,这个世界上什么都是死的。
只是临终前看着土方,山南或是无法介怀。
初识的某日,土方曾对山南说:“我的绳索,就交给你握住吧!我最讨厌的事,就是做出事情又后悔。所以,你就做正论的中轴吧,为了不让我偏离得太远……”
于是,山南记下了这句话,只是土方却忘记了。
人生若真的只如初见。
喜欢新撰组,已是许多年来的习惯。
这个幕末最强剑客集团有着太多传奇,太多腥风血雨。
只是,在完整啃完大河剧《新撰组》后,有了同以往全然不同的,更深刻的感慨感悟。
这份感慨不是来自于一直心怀崇敬的土方岁三,也不是天才美少年的冲田总司。
却是来自于这位一直被影视、动漫作品一笔带过,甚至未提及的山南敬助。
这位生性淡泊、温柔儒雅的先生,这位温暖犹如春水,恬淡高洁于菊的新撰组总长。】
【山崎烝】
1833年 ~ 1868年2月6日
·出身:摄津国大坂人
·新选组职务:副长助勤 诸士取调兼监察
·生平事迹
生平编辑背景真正的出生、门第、家族全部不明……
推测是大阪的针灸医生林五郎左卫门的儿子,在京都出生,因为后来有他对医学感兴趣的线索。有认为山崎蒸是新撰组队士山崎林五郎(林新次郎)的堂兄弟(义兄弟),但从林五郎本家的家谱和他的妻子在世所说的证言来看,并不能清楚地证明他们之间有真正的血缘关系。
不过根据子母泽寛的作品,认为山崎是林信太郎的堂兄弟,不过恐怕是把林信太郎和林新次郎混淆了。也有人认为山崎林五郎和山崎蒸的父亲不过是同名而已。
加入新选组正式加入新选组是在浪人队24名连名字都不知道的人中的选拔,但是第一次编组就成了副长助勤。【由此可见山崎是非常优秀的人】
山崎烝从元治元年时担任情报探索和调查队员动向的工作。
在六月的池田屋事件,身为诸士调役兼监查的山崎和岛田魁一起探查长州藩士及激进尊王攘夷派人士的动向时。追查到激进尊王攘夷派里的其中一人古高俊太郎的住宅、枡屋。枡屋就是宫部鼎藏等重要志士的密会场所,由于他们尾随宫部的仆人‧忠藏到了枡屋因而能追查到这个地点。结果新选组因此破获了这个尊王攘夷派的重要地点,进而在池田屋事件中成功的阻止天皇要被带去长州的计划 。
【这里来介绍一下山崎勘察出端倪、从而引发池田屋事件,阻止了长州藩计划的意义吧。
据说长州藩的计划有两个:带走天皇,京都纵火。
带走天皇大概是比较异想天开的吧,但是京都纵火会带来什么影响呢?
一个月以后的禁门之变给你们答案~
家毁人亡的后果。
所以说池田屋不仅仅使新选组彻底扬名,也是对京都百姓们的一个有力保护。】
因为对大坂的熟悉,所以多次以向导身份带领干部们在大坂行动。并且也由于相当了解大坂里有钱商人们的情况,所以被新选组当作宝物般地重视。
在新选组刚成立时,为了筹钱而十分的尽心。因为非常穷,逃走的士兵们很多,山崎对大阪的财主们很熟,所在在筹钱困难时候就以官员的名义去借。
之后在禁门之变、第一次长州征伐和第二次长州征伐等重要战争中彻底发挥了对战争的推测和报告战况的能力。使得近藤勇和会津藩因此能获得正确的情报。
向在新选组中作为医生而活跃的松本良顺学习医术。那个时候也会在大家面前说:“我成为新选组的医生了”来逗大家开心的一面。学习了南部精一的金疮缝合,向新缀组引进了松本颜顺的应急法。
在庆应四年一月的鸟羽伏见之战中期身负重伤。
【关于山崎的死亡:
山崎蒸水葬说是一直到明治后才由林信太郎所说出来,但那个时候他已经死了
1月13日,就在撤退回江户时,于富士山丸的船上因为高烧而在松洲病死。然后在纪州进行水葬。
在那个时候,据说近藤勇向土方岁三说:“山崎是个好家伙,那个家伙能有那么多人为他送别真是幸福”。在那之后,船长也深深的低头向山崎致意。近藤对山崎相当信任而且疼爱他。就在船上进行着水葬的时候,近藤自己肩膀上因为枪击而受的伤也开始发作,因此婉拒做为代表去朗读追悼山崎的话。
死亡的地方有多种说法,有山崎在鸟羽伏见之战中受到枪击死亡因此埋葬在陆地上的这个说法。另外也有一说是在大阪八轩家的京屋死亡的,这个在现在更有说服力一点。】
【关于山崎医术的问题是否真实:
由于想帮新撰队队士诊疗的医生松本良顺学习医术,所以在松本良顺的书中,有着他一边笑着一边说“我成为新撰组的医师了”的纪录。】
·性格:
身体魁梧,皮肤显黑,不怎么说话的人。性格温厚,有忍耐力,非常受近藤的信赖和喜欢。
回复举报|10楼2015-11-30 21:19
疏图小攻主
小吧主11
_(:з」∠)_关于山南和伊东是不是敌对的关系……其实不好说啦~
我发点东西上来给你看看,楼中楼字数不够@碎樱景界
山南敬助辞世后的一个月内,土方和近藤先后寄信回家乡多摩,但均未在家书中提到山南的死。试卫馆时期的同伴如今撒手归天,两人却闭口不谈,实在显得可疑。倒是刚上京不久的伊东甲子太郎作诗一首(四首短歌),凭吊山南。
据说此诗(四首短句)是唯一一首伊东甲子太郎为新选组队士所咏之物,伊东甲子太郎究竟如何看待山南之死? 透过此诗或许可以看出一些端倪。
山南氏の割腹を弔て
春風に吹き誘われて山桜
散りてぞ人に惜しまるるかな
吹く風にしぼまむよりは山桜
散りて跡なき花ぞ勇まし
皇の護ともなれ黒髪の
乱れる世に死ぬる身なれば
雨風によしさらすともいとふべき
常に涙の袖にしぼれば
悼山南氏切腹
春拂山樱过,风邀山樱舞。
花谢最美时,观人尤惜之。
风吹百花谢,凋瓣系枝头。
不如随风逝,若樱显英魂。
世乱如青丝,人事易凋零。
愿君留忠魂,身死卫吾皇。
纵受风雨袭,吾心亦如一。
泪常湿衫袖,思君愈悲戚。
第一首:春风吹拂,枝头山樱,正因零落,才让人惋惜。
解读:作者将离世的山南敬助比作随风而逝的山樱。山樱之“山”字与山南敬助之“山”字重合,而山南敬助辞世之时(1865年3月20日)正值京都樱花的绽放后期。山南之死,正如这樱花经春风的吹拂拍打而零落一般。但如同山樱正因零落才叫人惋惜一样,山南也正因为其一死而让队士们怀念,重新让人们意识到他在队中不可或缺的分量,暗指山南在死前,在组织中一度成为边缘人物。
第二首:(枝头山樱,随风而逝,虽让人惋惜。但是)与其在枝头枯萎,不如随风飘落,不留痕迹,更显英魂。
解读:山南的死如同随风飘逝的山樱,虽让人惋惜。但正像飘落无痕的樱花相比枝头的残花更显豪壮一般,山南毅然地选择一死相比苟活于组织中、继续边缘化,更显得英勇悲壮。此句中“在枝头枯萎”暗指其在组织中的边缘处境,或者其所寄身的组织新选组与其立场相悖,使其处境痛苦。从此句来看,山南应该是自己选择了一条不归路,但也有可能其并未意识到行将赴死,只是出于某种目的逃脱,但这一举动在伊东眼里却被解读成了英勇豪装的自发寻死行为。
第三首:你虽已告别这乱发般的尘世,步入他界,但却壮志未酬,请至少留承载壮志之魂于这人世间,完成保卫天皇的大业!
解读:这一首直接点明了山南敬助的尊皇立场。句中的“黑发般的乱世”既指当时的时局于尊皇志士而言之惨淡(当时正值1865年春,前一年的夏天,新选组在池田屋一战中使得诸多勤皇志士殒命;随后长州藩为挽回颓势进军京都抢夺天皇,在御所附近与会津、萨摩诸藩的军队交战后惨败。不久后幕府便下令征伐长州,而长州藩内部也发生变化,惧怕幕府的“俗论派”把持藩政。尊皇攘夷运动转入低谷),又暗讽诸如新选组之流的佐幕组织于当下得势,大行其道。在伊东看来,胸怀尊皇壮志的山南不幸陨于此时实在是让人扼腕叹息,所以诗中叹道“至少请将承载尊皇壮志之魂留于尘世”。
第四首:这副身躯哪怕是经受风吹雨打,我也将同你一样不折不屈。因为我的衣袖将常沾满怀念你的泪水,使我不得不去挤拧。
解读:最后一首短歌表明了伊东甲子太郎自身的立场,即怀念同道友人山南敬助,继承其未达成的遗志,坚定不移地走勤皇路线。“哪怕是经受风吹雨打”一方面表明伊东很清楚若是自己坚定勤皇立场,一意孤行地与佐幕的土方近藤对立(尽管勤皇和佐幕并非是二元对立的概念)会有怎样的下场,一方面也暗示了其在队中的处境,即虽身为组织的参谋,实际上却得不到近藤和土方的信任。
从伊东甲子太郎悼念山南的这首诗来看,山南无论是离队出走,还是自刃,酿成其死的原因主要有两个:即在组织内的处境日渐艰难,以及他坚定不移的勤皇立场。【这是伊东理解的山南脱走的原因】
至于他在新选组内部逐渐被边缘化究竟是源于和土方权力斗争的失利,还是因为他强烈的勤皇立场被近藤、土方等排斥,虽在诗中没有点明,但在笔者看来,是两者皆有的,或者换一种说法:山南和土方若是有矛盾,则这一矛盾绝不限于立场不同这般高洁单纯的理由,这是美化新选组、想要将其内部一切都合理解释之人的美好幻想,而真实的新选组,笔者认为应该更接近司马辽太郎《新选组血风录》(虽然充斥着架空人物和虚构情节)中那个混杂着权力斗争的组织,这也是笔者为什么相比《燃烧吧!剑》更喜欢《新选组血风录》的理由。
山南敬助的资料甚少,他究竟是怎样的性格,笔者不得而知,而可以想象的是,看到近藤相信土方,队内的大小事务多由土方决策,他心里定是不好受的。
至于他是不是如富泽忠右卫门日记中写的那样因为“卧病”渐离组织权力中心、被边缘化的?若是以这番“生病说”来解读伊东甲子太郎的这首诗似乎也是通顺的,毕竟“在枝头枯萎”一句可被作若干解释。
此外,末句中的“衣袖将常沾怀念你的泪水”可见伊东和山南的关系,两者皆为持有勤皇立场的同道中人,伊东的到来,恐怕真是为在组织中倍感寂寞的山南注入一丝希望,两者之间必定有着诸多的交流,绝不是几乎无交集,或者说看出山南失势的伊东还落井下石。
但要说两人如何相见恨晚,笔者认为也未必,毕竟如上文所说,那个时代的勤皇志士,不知是否是因为坚信自己的勤皇义举会留名历史,其诗集和日志多有美化自身行为之嫌,措辞夸张壮烈,还是不要一味地信凭,况且当时注重写实的自然主义之风潮还未传入日本。
以上内容选摘自博客作者:fringe界 侵删歉
【所以说伊东和山南的关系或许不像影视和动画上描述的那么糟糕~ 要说真正的矛盾,我觉得应该是山南与土方的矛盾、伊东与土方的矛盾。】
【山南温厚的性格与鬼之副长不和是肯定的,但他还是以自己的方式守护着土方,土方当初的确有拜托过山南一些话,大概是“在将来我一定还会忘掉许多事情,到时候就拜托山南先生提醒我啦”这样的,可惜在那个将来到来的时候,土方或许早就忘记了,新选组也变了,山南没有忘记土方的话,所以山南不能变。包括山南所持的信念也与土方近藤他们有出入吧,这一点跟伊东一样,勤王思想。也许山南先生是想用他的死亡,对土方岁三作最后的提醒吧。】
【伊庭八郎】
1844年 ~ 1869年5月17日
·出身:武藏国江户
·以华丽的剑技赢得伊庭之“伊庭の小天狗”的美称,凋落在箱馆的“只腕”美剑士。
·生平事迹
幕末的剑术界公认“技之千叶、力之斋藤、位之桃井”为当时最有名的三大道场。心形刀流的伊庭道场”练武馆“虽然不及它们有名,却以其别具一格的特色保持着应有的地位。
作为第八代当主伊庭秀业的长男,伊庭八郎本应继承家业,成为心形刀流第九代传人。
可是由于双亲太为儿子虚弱的体质忧虑,象对待易碎的瓷器般,小心翼翼地将八郎捧在手心,爱护备至。
在他们过于呵护的抚养下,幼年时期的八郎连竹刀都未曾握过。
幼年时的八郎喜爱读书,专心学习汉学和兰学。【文武双全的美男子~】
八郎十五岁时,父亲秀业去世。秀业的得意门生秀俊拜故去的秀业为父,以义子的身份继承了伊庭道场,并将八郎收为自己的养子。
在看到宫本武藏的画像后,由于受到激励和鼓舞,这个孱弱的少年突然开始剑术修行,一转眼间,水平已经超越了自己的养父。【八郎好厉害!通常来说这种被当做瓷娃娃一样捧在手心的少爷都是很娇弱的吧~】
不过,正因为成为剑术达人,才使其人生步上一条凄绝而曲折的道路;相比之下,若八郎依旧以病弱之躯,终身不用握剑,安安静静地渡过一生,对他本人而言,也许反而会幸福一些。
一八六四年(元治元年),伊庭八郎作为奥诘队五十名队员之一,随同将军家茂去了洛中和京都。奥诘队的任务是担任将军的护卫,工作非常轻松。他们在洛中与京都遍访名胜古迹、尽赏珍馐佳肴,过着游山玩水的惬意日子,并留下了记录《征西日记》。从他们的生活方式来看,实在无法想象当时的京都实际上是被“天诛”暴风席卷的多事之町。
在二条城进行的御前比武中,皮肤白皙,外形如演员一般的八郎以华丽的剑技将讲武所的强手一一击败,他的英姿攫取了年轻的将军家茂的目光,家茂为此特地赐言褒赏。
好景不长,不久之后家茂死去,庆喜当上了将军,奥诘队的地位一落千丈,成了游击队。
时值大政奉还、王政复古,风起云涌。幕府军成为“朝敌”,爆发了鸟羽伏见之战。在战斗中,八郎率队展开游击战,萨长联合军为之阵脚大乱。可是,激战中途,八郎因吐血脱离了战线。
【这满满的总司即视感是怎么回事,你们俩结婚去好了……
关于八郎吐血的原因:
有说是因为劳咳(肺结核),或是中了枪弹,也有说是由胃溃疡引起的。不过,并非危及生命的重症。】
因为不是重症,这孩子又带领游击队绕到敌人背后进行突袭,在箱根展开战斗。一位年轻英俊的剑士立于阵前,指挥游击队冲锋陷阵,实在太过引人注目。敌人的炮火对八郎进行集中攻击。八郎的左腕负了重伤,不得不作截肢处理。【卧槽,这是天妒红颜吧】
尽管如此,独腕的八郎还是带队与江户的榎本武扬会合,乘船朝北进发。然而,他所搭乘的美贺保丸号从品川冲出海,两天后不幸触礁沉没,溺死者甚众。但八郎并没有死在海里。引咎自责的八郎想要自尽,被旁人阻止。
三个月后,他搭乘一艘美国船只,去了虾夷。此时的八郎已经心如死灰。他吟出了哀伤的辞世之句:“少待片刻啊,先行而去之人;虽迷途但愿能顾念旧友,垂一顾渡我这碌碌之身。”此句终于言中。
在木古内的战斗中,八郎为敌方炮火击伤,被医院收容。纵然如此,八郎奄奄一息的生命之火还苟延残喘了整整二十天,痛苦不已的他最终选择了服食吗啡自杀。他去到另一个世界的同伴身边后,仅仅过了六天,榎本武扬就缴械投降了。
【不知道该多说什么,至少如果换做我,比起坚持着信念战斗到最后,我肯定会选择拥有被呵护的一生。八郎尼桑的选择我不能说赞同,但是我真的敬佩这样的人,用二次元的话来说,他大概就是那种背景会发光的男人吧】
【坂本龙马】
1836年1月3日 ~ 1867年11月15日
·出身:四国土佐(今日本高知县)
·日本明治维新时代的维新志士,倒幕维新运动活动家,思想家。【这满满的历史/政治课本即视感是怎么回事……】
·坂本龙马第一个提出“日本国”的概念。
·日本历史上第一个穿靴子的人
·坂本龙马是第一个带新娘蜜月旅行的日本人。【同志们你们还犹豫神马,攻略这孩子可以度蜜月!】
·坂本龙马是第一个以万国公法与外国公司打官司并且胜诉的日本人。
·身高6尺(约182cm。研究也有龙马身高是174cm或169㎝的说法)在当时的江户时代可以说是一名巨汉。
·小时候前往游泳的途中下起雨来,朋友问他说“已经下雨了还要去游泳吗”,龙马回答“弄湿身体和下雨有关系吗”然后就这样跑去河川游泳了。
·家庭情况:
龙马是八平的次子。
父亲八平
母亲幸
继母伊与
哥哥权平
大姐千鹤
二姐荣
三姐坂本乙女
妻子楢崎龙
未婚妻千叶佐那子
孩子太郎(收养,千鹤的孩子)【瞩目】
·生平事迹
关于出生:
据说其母怀孕时梦见云龙奔马在腹内飞腾,因而取名龙马。他是坂本家最小的儿子,父亲为还有一个大哥(权平)及三个姊姊(千鹤【噗哈哈,风之章攻略龙马的时候龙马酱会脑补自己的姐姐吗】、荣、乙女【这名字起得也真随便,坂本少女吗……】)。因此,龙马和其它大部分维新志士不同,一是身份低微,只是个乡士,再就是非常有钱(才谷屋是土佐数一数二的大商家)。
关于剑术:
坂本龙马出生的时候正是幕府末年西方资本主义入侵,日本处于空前民族危机的时代。此时日本有识之士国防意识高涨,为了保卫日本,武士们重新开始修练武术。青少年时的坂本也不例外,在住家附近的小栗派剑客日根野辩治的剑术馆学剑术。这里聚集着下级武士的子弟,毫无拘束,自由空气浓厚。
1853年19岁的坂本到江户,进入京桥桶町的北辰一刀派千叶定吉的剑术馆进一步修剑术。他牢记父亲的告诫——不忘忠孝修行第一,不移心物质浪费金钱,不沾色情忘记国家大事,专心一致学本领。
两年后,取得老师的秘传证,并把户籍迁到千叶定吉剑术馆,定居江户。
安政四年(1857)土佐藩主山内容堂在江户举办武术比赛会,数十名剑客参加比赛,坂本和岛田驹之助比赛获胜。当时的剑术馆不仅是练武场所,还是政治学校,来自各藩的青年议论国家大事,日本究竟如何对待外敌才好。他们为了证实自己的议论,遍历各国(藩)收集情报,再回到江户作为讨论的材料。【土佐藩的武市瑞山、长州藩的高杉晋作和桂小五郎就是这样的青年。】
【看到这里不禁想感叹了,果然生长环境不一样会带来完全不同的人生啊,假如新选组的诸位或者其中某位修习剑术的场所是和坂本一样的话,或许他们所持的信念就会截然不同了。】
文久元年(1861)武市瑞山在江户的藩邸组织土佐勤王党,并回土佐扩大组织,有200多人参加,坂本是其中之一。
1862年1月坂本代表土佐勤王党领袖武市瑞山到长州会见长州勤王党领袖久坂玄瑞,并探听天下形势。
关于脱藩:
1862年3月回藩以后便毅然脱离藩籍。当时脱藩是犯重罪,不但本人要处死,还牵连家族。
因坂本脱藩,他的姊妹乙女不得不离婚,送名刀给坂本的姊姊荣自杀,兄权平花了很多钱总算免难。而他自己则离开土佐藩以后便成为一个职业革命家。
幕末脱藩的人所走的唯一道路是暴动举兵,如掀起“天诛党之乱”的武力讨幕先驱者吉村寅太郎等,有强烈的功名心。
但坂本脱藩不是为了功名,而是为了摆脱充满反动势力的土佐藩的束缚,思想和行动上获得自由。因此坂本脱藩后不跟吉村寅太郎走,而周游九州,经大阪到江户,拜见幕臣胜海舟,跟他学航海术。
武市瑞山作诗赞叹他的果断的脱藩行动:
肝胆元雄大,奇机自涌出。飞潜有谁识,偏不耻龙名。
配置要求
推荐配置操作系统:Windows 10
CPU:Intel i5 2.6GHz or equivalent
内存:8GB RAM
显卡:DirectX 10 compatible video card
存储空间:需要27GB可用空间
最低配置
操作系统:Windows 7 or better
CPU:Intel i5 1.8GHz or equivalent
内存:4GB RAM
显卡:DirectX 10 compatible video card
存储空间:需要27GB可用空间
各可攻略角色线路攻略
土方岁三第一章
何とかして逃げる
逃げ出す
部屋で大人しくする
そんな気がします
手伝いを申し出る
土方の小姓
事情を説明する
第二章
大人しくしている
必ず伝えます
土方さんについて行く
覚えてなくてすみません
参加してみたい
天王山へ
永倉さんを止める
そのまま駆ける
留守を預かる者として……
第三章
素直に部屋に戻る
広間に残る
大丈夫です
この場に残る
剣をかまえる
小太刀に手をかける
やっぱり抜かない
自分でする
仕事に専念する
彼ら鬼の存在
私が羅刹を研究する
制札のこと
複雑な心地
第四章
隊士のこと
偉い人
いる
事情も知らないのに
攻撃に転じる
何が食べたいですか?
それでも手伝いたい
伊東さんの対応
何か手伝いたい
土方さんを手伝う
土方さんを信じる
すぐに戻る
第五章
出て行くべきだけど……
返す
仇をとる
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・土方歳三より
好感度低で開始
出て行くしかない
Save1
仇を取る
↓
悲恋エンド
Save1より
逃げる
↓
バッドエンド
冲田总司
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
誰かに頼んでみる
私の腕を確かめるため
大人しく部屋へ戻る
留守番をする
第二章
外に出て父を探す
沖田さんを探す
敵の気を逸らす
留守番してます
中庭に行ってみる
「確かにそうかもしれない」
第三章
薬について調べる
南部邸を調べる
声を張り上げる
屯所に戻る
でも……
沖田さん
言いません
自分でする
沖田さんが心配
追いかける
羅刹のこと
沖田さんて器用ですね
第四章
隊士のこと
中立の人
いる
皆の所に行く
事情も知らないのに
腕から逃れる
好きな食べ物を用意します
留守番をする
沖田さんが心配
沖田さんを止める
そんなの嫌です
大人しくする
第五章
正しい道を歩んで欲しい
沖田さんが心配だから
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・沖田総司編より
好感度低で開始
近藤さんが悲しみます!
Save1
止めても無駄ですから
↓
バッドエンド
Save1より
沖田さんが心配ですから
↓
悲恋エンド
斋藤一
第一章
事情を説明する
京に来た理由を話す
誰かに頼んでみる
やはりできない
大人しく部屋へ戻る
伏見に行く
いいんですか
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
池田屋に向かう
斉藤さんについて行く
参加してみたい
蛤御門へ
斉藤さんを信じる
少しわかる気がして
第三章
素直に部屋へ戻る
中庭に行く
この場に残る
味方を呼ぶ
わかりました
自分でする
沖田さんが心配
先回りする
羅刹のこと
一緒に遊びませんか?
第四章
衛士のこと
そんなのひどい
いる
屯所の外に行く
大人しくする
心配かけてすみません
留守番をする
何か手伝いたい
土方さんを信じる
少し話したい
第五章
今は退却しましょう
斉藤さんを止める
わかりました
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・斉藤一編より
好感度低で開始
斉藤さんなら勝てます
Save1
斉藤さんを止める
↓
悲恋エンド
Save1より
風間さんについて行く
↓
バッドエンド
藤堂平助
第一章
事情を説明する
私、男じゃないです
屯所を探索する
いつか機会があれば
手伝いを申し出る
うれしかったから
巡察に付き合う
違います
第二章
外に出て父を探す
平助君を探す
平助君を手伝う
留守番してます
大広間に行ってみる
出過ぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸について調べる
山南さんを説得
屯所に戻る
でも……
平助君
もう、大丈夫
自分でする
仕事に専念する
父のこと
羅刹のこと
ごめんね、援護が足りなくて
第四章
衛士のこと
残ってください
いる
屯所の外に行く
大声を上げる
私は大丈夫!
それでも手伝いたい
平助君の説得
平助君が気になる
そばにいたい
大人しくする
第五章
そんなことないよ
我慢させる
傍にいたいから
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・藤堂平助編より
好感度低で開始
解放されたんだね
Save1
我慢させる
↓
悲恋エンド
Save1より
薬を与える
↓
バッドエンド
原田佐之助
第一章
事情を説明する
……諦めよう
屯所を探索する
やっぱり駄目です
大人しく部屋に戻る
ありがとうございます
巡察に付き合う
違います
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
池田やに向かう
原田さんについて行く
参加してみたい
公家御門へ
不知火さんを追い払う
出過ぎたことを言いました
第三章
素直に部屋に戻る
外に出る
当たり前の望み
この場に残る
動かない
原田さんを信じる
自分でする
仕事に専念する
私を狙う理由
制札のこと
不思議な気分
そんなに元気なさそうでしたか?
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
いる
皆の所に行く
事情も知らないのに
皆を信じる
大勢での食事は楽しいです
それでも手伝いたい
平助君の説得
鬼たちと交渉する
大人しくする
第五章
簡単には言えない
呑むふりだけでも
逃げる
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・原田佐之助編より
好感度低で開始
言っても仕方のないこと
Save1
逃げる
↓
悲恋エンド
Save1より
戦う
↓
バッドエンド
风间千景
第一章
何とかして逃げる
逃げ出す
屯所を探索する
やっぱり駄目です
大人しく部屋に戻る
土方の小姓
事情を説明する
第二章
外に出て父を探す
様子を見る
二階に行く
お礼を言う
患者さんだったんですか?
参加してみたい
天王山へ
永倉さんを止める
立ち止まる
出過ぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
山南さんを説得
この場に残る
小太刀に手を掛ける
小太刀を抜く
自分でする
仕事に専念する
鬼に作り替える事
聞かない
それでも彼らを信じます
羅刹のこと
第四章
伊東さんを知っている人
そうでしょうか
相手をする
いない
皆の所に行く
父の責任は私が
腕から逃れる
留守番をする
大人しくする
第五章
あなたたちこそ化け物
雪村家の頭領ですから
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・風間千景編より
好感度低で開始
そうかもしれない
Save1
雪村家の頭領ですから
↓
悲恋エンド
Save1より
綱道の娘ですから
↓
バッドエンド
接下来是新可攻略人物= ̄ω ̄=
新可攻略人物-永仓新八
第一章
事情を説明する
京にきた理由を話す
屯所を探索する
やっぱり駄目です
大人しく部屋に戻る
巡察に付き合う
違います
第二章
外に出て父を探す
様子を見る
永倉さんが心配
診せてください
参加してみたい
天王山へ
一緒に戦います
そうでしょうか
そっとしておく
第三章
素直に部屋へ戻る
自室へ戻る
生きていてよかったです
この場に残る
動かない
このままじゃ……
自分でする
仕事に専念する
私を狙う理由
駄目です
お千ちゃんのこと
なんとなくわかります
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
そんなことありません
いる
じっとしている
部屋の外に逃げる
助けを求める
無茶はしないでください
私もなれますか
それでも手伝いたい
なんでもします
永倉さんを追う
大人しくする
第五章
わかりました
行かないと駄目なんですか
まだこれからです
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・永倉新八編より
好感度低で開始
帰ってきますよね
Save1
まだこれからです
↓
悲恋エンド
Save1より
残念ですね
↓
バッドエンド
新可攻略人物-山南敬助
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
留守番をする
第二章
大人しくしている
行きます
必ず伝えます
土方さんについて行く
留守番してます
大広間に行ってみる
出すぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
山南さんを説得
屯所に戻る
でも……
平助君
……うん
自分でする
仕事に専念する
鬼に作り替えること
聞きたい
山南さんの手を取る
羅刹のこと
第四章
隊士のこと
伊東さんを知っている人
そう思います
いる
じっとしている
部屋の外に逃げる
風間さんと戦う
山南さんを信じる
わかってくれます
それでも手伝いたい
何でもします
この場に残る
山南さんにまかせる
よろしくお願いします
大人しくする
第五章
本当に治ると信じてるの?
理由を尋ねる
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・山南敬助編より
好感度低で開始
沖田さんは大丈夫です
Save1
理由を尋ねる
↓
悲恋エンド
Save1より
とがめる
↓
バッドエンド
新可攻略人物-山崎烝
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
土方の小姓
事情を説明する
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
土方さんについて行く
患者さんだったんですか?
参加してみたい
蛤御門へ向かう
戦ってほしくない
出すぎたことを言いました
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
声を張り上げる
屯所に戻る
そうですね
沖田さん
でも……
お願いする
沖田さんが心配
先回りする
そっとしておく
羅刹のこと
気がつきませんでした
第四章
衛士のこと
そんなのひどい
いる
じっとしている
部屋でじっとする
仲間だから
わかってくれます
留守番をする
何か手伝いたい
土方さんに確認する
これからもお願いします
第五章
離れるのが怖いから
気持ちは分かります
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・山崎烝編より
好感度低で開始
役に立ちたいから
Save1
気持ちは分かります
↓
悲恋エンド
Save1より
山崎さんも戦っています
↓
バッドエンド
新可攻略人物-伊庭八郎
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
土方の小姓
武田さんの事を詫びる
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
必ず伝えます
土方さんについて行く
覚えてなくてすみません
留守番しています
大広間へ行く
散歩
第三章
薬について調べる
八木邸を調べる
声を張り上げる
傷のことを隠す
自分でする
人を呼ぶ
仕事に専念する
父のこと
何かあったら
制札のこと
複雑な心地
私を守る理由……?
第四章
隊士のこと
偉い人
取り戻す
いない
皆の所に行く
事情も知らないのに
皆を信じる
真撰組がいます
大人しくする
第五章
副長の命令なら
わかりました
止めない
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・伊庭八郎編より
好感度低で開始
嫌です
私も戦います
Save1
止めない
↓
悲恋エンド
Save1より
止める
↓
バッドエンド
新可攻略人物-坂本龙马
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
伏見に行く
いえ、大丈夫です
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
山崎さんが行くべき
池田屋に向かう
原田さんについて行く
留守番しています
大広間に行ってみる
聞くのをやめる
第三章
素直に部屋に戻る
外に出る
今は過ぎた望み
Save1
留守番をする
すみません
自分でする
仕事に専念する
父の事
助けてくれる人を呼びに行く
そうでしょうか
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
本当は良い人です
いない
屯所の外に行く
大声を上げる
私、やります
一緒に行く
何か手伝いたい
土方さんを信じる
すぐに戻る
第五章
行かない
留まって坂本さんに会う
坂本さんが信用するなら
Save1より
同行する
屯所に戻る
でも……
平助君
……うん
自分でする
仕事に専念する
父の事
羅刹のこと
第四章
隊士のこと
分離派と親しかった人
いない
屯所の外に行く
大声を上げる
留守番をする
何か手伝いたい
土方さんを信じる
すぐに戻る
第五章
↓
ノーマルエンド
行軍録→第五章・坂本龍馬編より
好感度低で開始
行かない
留まって坂本さんに会う
Save2
できません
↓
悲恋エンド
行軍録→第五章・坂本龍馬編より
好感度低で開始
行く
なんとかして逃げ出す
Save2
坂本さんが信用するなら
↓
バッドエンド
Save2より
できません
↓
バッドエンド
新可攻略人物-相马主计
第一章
何とかして逃げる
その場に居直る
部屋で大人しくする
意外です
大人しく部屋に戻る
巡察に付き合う
小姓です
第二章
大人しくしている
なぜ、私なんですか
山崎さんが行くべき
池田屋に向かう
原田さんについて行く
留守番しています
大広間に行ってみる
とりあえず返事をする
第三章
素直に部屋に戻る
外に出る
今は過ぎた望み
屯所に戻る
でも……
沖田さん
でも……
自分でする
仕事に専念する
父の事
よかったな、と思って
沖田さん
真撰組の一員です
第四章
役に立っている
いる
事情を説明しない
父と話したい
それでも手伝いたい
伊東さんの対応
聞きたい
叶ったんですか?
第五章
ここに残ります
諦めない
相馬君を止める
↓
グッドエンド
行軍録→第五章・相馬主計編より
好感度低で開始
…………
Save1
諦めない
相馬君を止めない
Save1より
諦める
↓
バッドエンド
人物介绍
【永倉新八】1839年5月23日 ~ 1915年1月5日
·出生地:松前藩
·剑道:神道无念流
·生平事迹
原籍松前藩(今北海道松前郡),为担任松前藩江户定府代理永仓勘次的次男。
弘化3年(1846年)8岁进入冈田十松(第三代掌门人)的神道无念流剣术道场“击剣馆”门下修习剑术,4年后为师死亡由继任第四代掌门人冈田助右卫门教导并授与切纸认可。
安政3年(1856年)18岁升格为目录级等,成年后改名为新八。
1857年获得“神道无念流免许皆传”认可后【新八19岁就神道无念流的免许皆传了~ 新选组真的是精英的集结地啊】,次年为了精进剑术迳行诸国武者修行之旅而脱藩,途中路经江戸牛込的天然理心流试卫馆道场,受武州多摩地方门人与近藤勇邀请成为试卫馆食客。
和近藤参加浪士组上京后,在新撰组时期担任组织核心的二番队队长。由于与芹泽鸭同样握有神道无念流免许皆传的认可与实力,与芹沢为匪浅之亲交。
元治元年(1864年),在冲田病倒、藤堂平助受伤的情况下,永仓新八仍像个狮子般和近藤勇、土方岁三在池田屋中奋力杀敌,断绝倒幕派浪人火烧京都的野心。
池田屋事件后远近驰名的近藤等人,难免被世人与幕府捧得飘飘然,对队士和下属目空一切。对此感到遗憾的永仓,与原田左之助、岛田魁冒着违反局中法度切腹的风险脱离新撰组住所向松平容保上书【永仓好像因为近藤不止上书过一次啊,感觉他与领导的相处风格跟我好像哈哈】,认为近藤勇已违背了局中法度。收到投诉书的松平容保要求近藤勇改善,而近藤勇也视永仓等人为同志而非君臣的立场接受了永仓的谏言。
油小路事件时永仓也参与其中,然而近藤勇亦私下交待“让藤堂活下来!”──毕竟藤堂也是由试卫馆时期便一同奋斗的伙伴。但是这样的密令到最后仍旧无法达成,藤堂平助依然在混战中战死。
冲田总司病重之际,永仓也负起带领第一队的重责大任。
从1868年(庆应4年)与新政府军战斗的戊辰戦争,到后来京都的鸟羽伏见之战,在枪林弹雨中永仓率领的敢死队给了萨长联军相当深刻的印象。战败后仍率领着原新撰组改名的甲阳镇抚队奋力战斗,然在甲州胜沼之战依旧不敌装备精良的新政府军,率领剩余残部撤退到江户。
但是后来,永仓跟近藤与土方不和,与原田自组靖兵队(靖共队)奋战。然而在米泽藩等待会津藩援军时,得知会津藩已经投降后,永仓回到江户并接受松前藩之保护。后成为藩医杉村介庵的婿养子。
明治后明治四年(1871年),永仓新八在北海道,与医生杉村介庵的女儿结婚,后改名杉村义卫,继承杉村家户主。
明治九年(1876年),杉村义卫从北海道到板桥(近藤处刑地)建立新选组坟墓。
明治十五年至十九年(1882年-1886年),杉村义卫就职北海道月形村桦戸监狱的的剑术教练。
明治二十七年(1894年),中日甲午战争爆发,57岁的永仓也表示要志?参加拔刀队,但是被婉拒;永仓便笑说“如果和前新撰组队士联手,那些萨摩的看来就没面子啦!”
大正四年(1915年)1月5日,在北海道小樽市渡过晚年的杉村义卫病死。
【新八的一生真的都是站在新选组的立场上生活的,因为近藤的飘飘然而勇敢谏言,感觉到失去初衷的时候离开了新选组却依然在战斗,建立新选组坟墓、撰写新选组事迹的书籍,年过半百还在念叨萨摩和新撰组的事情,这一点真的让人特别感动QVQ】
·性格
永仓新八耿直得有些固执,不知变通,为人重义,素来极度反感暗杀【大概刺杀芹泽鸭的时候没有新八的参与,除了他与芹泽同门交好外,这也是理由之一】、不公平之事,主张武士道义为先,反对严酷法度,机制化带来的权力过度集中,在肃清芹泽鸭、逼死山南事件上矛盾激化,后更是自组力量,反抗维新势力。
永仓新八性格极强,是个硬汉。新选组历经池田屋一战成名,他开始担任二番组长,举止稳重,处事有自己的一套,粗中有细的特质,使其当之无愧,而为土方所看中。
·关系
对冲田总司爱护有加,对于山南,他十分的钦佩其才学,为人处事的光明正大,在其死后,黯然神伤。而左之助,两人更是形影不离。
局势、时代的变迁,新选组与其愈来愈格格不入,永仓决然出走,给了近藤勇极大的打击。后于左之助一起加入了彰义队,继续与萨摩同盟战斗。
真正的永仓长了张娃娃脸,身材也很矮小。可是令人惊讶的是他在新撰组时却同时跟好几位女往。岛原龟屋的艺妓小常在庆应三年7月为他生下一个孩子矶子,小常本人于新撰组退守伏见时病死,明治之后永仓前往关西与矶子再会。矶子死于明治36年。除了那位小常,传说永仓还同大阪吉田屋阿鹿、品川的某个女子有关系。他这种风流行为发展到最后,妻子差点跟他分居。【喂喂?】
【永仓新八所撰写的有关新选组的书籍,虽然书中不乏夸张之辞,也毫无疑问是后世考据的重要资料之一】
【山南敬助】
1833年 ~ 1865年3月20日
·出身:陆奥国仙台(宫城县)
·流派:北辰一刀流、天然理心流
·生平事迹
【博古通今,气质儒雅的文武全才——总长 山南敬助,北辰一刀流免许皆传。】
【我真的非常喜欢温柔亲和的山南先生,有史书说冲田总司去追山南的时候有意放山南离开,但山南敬助为了总司而决定跟他回去。对话记不太清了,大概是这样的:
总司:“山南先生,我此行的目的,你知道的吧?”
山南点点头,然后总司就安心的睡着了,谁知醒来的时候发现山南依旧在身边。
总司:“您为什么不离开呢?近藤先生只派了我一个人来,我想他就是希望我让您离开啊!”
山南:“不,我想他只让你一人前来,正是认准了我一定会跟你回去。”
如果山南不回去,受到处罚的就将是总司了,即使这时候总司已经时日无多,但山南还是让总司好好过完最后的岁月。】
从仙台藩脱藩后,前往江戸,山南在仙台也用三南这个姓,但详情不明。有得到小野派一刀流免许皆传的身份,之后成为北辰一刀流・千叶周作的门人。
前往近藤勇的天然理心流剑术道场试卫馆挑战,但败给近藤。这时对于近藤的剑术和人品感到钦佩,进而开始仰慕近藤。以后与试卫馆的门人一起行动。并且与这些聚集在试卫馆的土方岁三、冲田总司、永仓新八等人成为之后新选组的干部。
文久元年(1860年)8月,在府中六所宫进行近藤就任天然理心流第四代传人的野外比赛,而敬助也以红军身分参与比赛。
文久2年正月时、与冲田总司一起出差到小野路教授剑术。
新选组文久3年2月,与近藤加入了以保护将军和尊王攘夷为目的,由清河八郎所提案组成的浪士组并且成为上洛的壬生浪士组中的一员。
3月26日,为了争夺队内的权力而与近藤、芹泽鸭一起在四条大桥暗杀殿内义雄。壬生浪士组也就这样成为近藤派和芹泽派两派所组成的组织,近藤和芹泽担任局长、山南作为近藤派与土方岁三一起就任局长助(副长)(至于芹泽派则是由新见锦就任局长助)。以尊王攘夷为目的所组成的浪士组,被会津藩收编成为专门取缔不法浪人的组织。
文久3年7月时、山南和土方一起在和服商“岩城升屋”里的激烈战斗中击退数名闯入的不法浪人。
之后山南也参加8月18日政变并且在两天后与土方一起斩杀掉潜伏在京都的长州系浪人。
文久3年(1863年)的9月,参与老早就和近藤不合的芹泽鸭暗杀活动。因此浪士组被近藤派(试卫馆派)所统一,组织重新改造并由山南担任总长,他的地位则处于局长近藤、副长土方岁三之间。
但是从暗杀事件到后来的切腹事件,山南的名字却从新选组的活动纪录中消失。
【这里的说法不一致,生病、信念、手伤等等,个人比较赞成手伤说】
【手伤说是一个推测。
出自小岛家传承的【异闻录】里描绘的一副血刀图
血刀图里描画,有断刃和切口的刀共3把,
特别是正中间那把刀已经断开,大量的血糊附着在上面
血刀图右侧处,对刀的形状有如下记载
「总长三尺八寸五分,刀尖向下一尺一寸处断裂
锷先二尺八寸五分,中心以寸,巾一寸一分五厘,锋三分一厘 刀疵四处」
在这之下附带着这样的说明(十分直白的翻译。。。汗。。。)
「新撰组局长助山南敬助,讨伐乱入岩木升屋浪士之时,刀折断。
从会津候处拜领了金八两的嘉赏。
然后中心处标了「摄州住人赤心冲光作」的铭文。
那把刀的那道豁然的断口和几乎遍布刀身的血糊十分地触目惊心,
是不是刀的主人也受了很重的伤呢。
于是就产生了受伤说这个推测。】
而在元治元年6月的池田屋事件山南也没参加。(有一说是山南因为生病而在基地留守。)
元治元年(1864年)11月,伊东甲子太郎入队。
伊东和山南都属于同门的北辰一刀流,而且伊东是热烈的尊王攘夷论者、学问也相当高。所以他受到特别的待遇并且升上比山南地位还高的参谋位置。【QAQ我其实不讨厌伊东,真的一点也不讨厌,但是我喜欢不起来他。我总觉得是他抢走了山南先生的位置。】
元治2年(1865年)2月,山南留下“前往江戸”的纸条并且就这样脱离新选组。
近藤和土方派遣总司担任追捕的工作,并且在近江国大津找到山南,将他带回基地里。
关于山南逃走的原因有以下各个说法。
根据西本愿寺侍臣西村兼文的说法,逼迫山南逃走的原因是基地转移的问题。由于新选组把基地移转到西本愿寺,但因为队员增加使得基地更为狭小,而且西本愿寺的勤王色彩相当浓厚。【原谅我没明白这个理由,大概是因为逼迫出家人让出地盘,而且这些出家人还是勤王思想什么的?也有部分原因是山南认为用武力去强迫出家人这样的做法太……】和长州藩的关系亲密,使得土方想要一举根绝这个关系。所以土方坚决反对寺方迁移基地的要求并且中止这个行动。但勤王意志相当强的山南则强力反对土方的作法,并且近藤和土方就这件事完全没有交集。使得山南对于对方的作为相当不满,造成山南终于下定决心脱离新选组。山南对于当初以尊王攘夷为目的所组成,但实际上却是不断压迫这些勤王志士的新选组感到疑惑,因此决定脱逃。
和之后脱离新选组的伊东有密约,所以预先离开新选组。【(╯‵□′)╯︵┴─┴这个理由大家请无视,原谅我无法认同!或者说我心里不愿意认同。】
根据平成10年所找到的浪士文久报国记事(永仓新八的手记),元治元年(1864年)6月26日因为山南生病被从发生禁门之变的根据地调到新选组基地担任守备工作而无法被写入禁门之变的事迹里,因此对于自己的病感到苦恼。【这点看来是支持生病说的论证~】
因为山南和担任干部的好友永仓新八所推荐的伊东从新选组脱逃,使得山南决意赴死。由于永仓的好心帮助,让山南的红粉知己岛原(地名)艺妓天神明里在山南死之前和他见面并且还流传着明里与山南决别的悲剧故事(但在永仓的手记“新撰组颠末记”和“浪士文久报国记事”中都没有关于明里的记述、所以这段是子母泽寛创作的可能性相当高,山南死后,冲田似乎帮他照顾着明里。据说明里因为肺结核而死,所以冲田因此被她传染,最后也因为肺结核而死)【卧槽?不是的吧】。
元治2年(1865年)2月23日,山南切腹。
而介错的人由山南所希望并且就像是他弟弟一样的冲田总司担任执行。享年33岁。
这次的切腹,近藤以“浅野内匠头(赤穗浪士的主人,因为砍伤吉良义央,被迫切腹谢罪)这样的人也没办法那么漂亮的结束自己生命”加以赞赏。山南敬助也因为这样被新选组的人所加以敬佩,而以鬼副长有名的土方岁三也在山南切腹的时候掉下了眼泪。
山南的墓所位于京都的光缘寺。
“ 春风に吹き诱われて山桜 散りてぞ人に惜しまれるかな ”“ 吹く风にしぼまんよりも山桜 散りてあとなき花ぞ勇まし ”
【翻译:诱惑春风吹来的山樱,散落之后被人怜惜。 因风而凋零的山樱,花散勇犹存。】
— 伊东甲子太郎
据说山南因为其温厚的性格而被壬生村附近的孩子和女孩所仰慕著。
身材娇小而且有着皮肤白皙充满魅力的脸孔。
在8月18日政变出动时、近藤和土方自己穿着盔甲但却没有把盔甲交给身为总长的山南,因而激怒了他,后来是靠著松原忠司的居间劝诫才解决。
在2004年NHK的大河剧“新选组!”,有山南切腹的第33集“友の死”是在49集中唯一破例重新播出的一集。并且在播出时得到一番的反响,其中还有部份狂热的戏迷写信给电视台要求“请不要杀死山南”
【转一篇大河剧山南敬助的追悼文,作者:雪菱泽雅
文久3年(公元1863年),时代之风依旧凛冽,那些聚集在“诚”字大旗下,笃信着刀与剑的青年并不知道,自己即将走到了历史的风尖浪口。
新撰组的历史只有短暂的五年,却被矛盾与斗争、背叛与肃整所充斥,写尽了一个团体人与人之间的复杂的羁连。
提起新撰组,恐怕首先会想到的那个冷酷铁血却才华横溢的鬼副长-土方岁三,或是英年早世的天才少年-冲田总司。可是,有多少人知道,新撰组还有一位博古通今,气质儒雅的文武全才——总长 山南敬助,北辰一刀流免许皆传。
又有多少人知道,在元治二年(公元一八六五年)的二月二十三,这个春花尚未完全绽放的日子里,这个刚过三十不久的男子,怀着对新撰组最深沉的感情无奈地离去,在尚未目睹江户的黎明,便结束了自己的生命,残酷而悲壮。
推动历史前进的不是人的想法与观点,而是人与人之间的联系
“近藤君,不管发生什么,请按照自己的想法走下去。”脱走之前,山南对近藤说的。
“你的剑尖太向下了,这是你的老毛病了。”脱走之前,山南对冲田说的。
“你没有错,就用我的死让新撰组更加团结一心吧!”切腹之前,山南对土方说的
山南作为总长,与任性的土方不同。
这个性格淡然温柔深邃的男子,总是噙着若有似无的微笑。
却能犀利地洞察着新撰组成员中隐藏着的复杂的矛盾与利害关系,努力维系着队士间表面上的平和。
表面上的平和呐,这正是山南悲剧的所在。
为什么要如此尽心尽力地为了新撰组呢?只是为了这个国家的未来。
但是,却渐渐发现自己为新撰组找到的道路似乎与时代的方向之间出现了偏差,而这个组织的其他领导者却并没有完全接纳自己,渐渐地遭受着排挤与冷遇。
早知如此,当初为何要自愿踏入这个束缚中来?那个叫做近藤勇的男人,真的是值得自己付出一切的人么?
同门的坂本龙马能做到的,自己为什么不能做到?
如果他像土方,就可以与魔鬼副长争权夺利;如果他像芹泽,就可以蛮横地在组内推行自己的主张;如果他像桂,就可以毫无羁绊地去寻找最适合自己的道路。
但是正因为他是山南,所以他的性格和责任感让他什么都做不了。
也许这是所谓的性格决定命运,也或许这原本就是命运的牵引。
只是到最后的最后,山南对近藤说:
“我从未后悔过推开试卫馆的门。”
山南还是走了。
纵有百般眷恋,可是这里已经容不下他了。
起草建白书之人的惨死,不断的不需要以及需要内斗持续上演。山南无法沉默下去,既然改变不了什么,又不愿,也不忍看到它的覆灭,那么就只有离去!
临走时,山南朝诚字灯笼深深鞠了一个躬。
迈开了大步,他再次停了下来,是总司,深浓的夜色笼罩下,总司独自一人在练剑,山南藏起简单的行李,走向挥汗如雨的总司:“剑尖太下,那是你的老毛病了。”总司露出孩子般灿烂的笑靥:“山南先生,总是那么细心。”山南又一次展现他那招牌的笑,只是这笑里全是苦的。
突然想起了山南曾经说过的一句话:
“你知道这句话吗?想吃与不吃之间还是不吃好,想着死与死之间还是死好……”
已是天光已经大亮,山南放慢脚步,配合着一无所知的心爱的女子明里,一路似在郊游。
吃着手里的丸子,那女子问:“吃到还剩最后那个丸子时,就会被尖端扎到喉咙。你说该怎么办才能既吃到丸子,又不扎到?”
山南呆住了,这个问题人们都曾遇到,但没有人去细思,自己一时也找不到答案。
女子笑了:“竟然有连山南先生都想不到的,其实很简单,只要把窜丸子的棍子倒过来,就可以做到了。”
山南猛然醒悟,他长叹一声,在这时他也瞥见了故意策马慢行追来的沖田。
山南走过去,站住了,在沖田的马前,这次山南笑了,一如既往,云淡风轻。
不如归去,不如归去……
沖田问:“为什么要走?要逃避?”
山南回答:“因为我累了,很累,已经走不下去了。”
对想放行的沖田,山南拒绝了。
“我身为新选组的总长,就要做到底。
我的死,不为别的,只为了新选组的团结。
我想要沖田担任我的介错。”
“为什么,我喜欢的人都死在我的刀下,我并不是为了这种理由才学习剑术的!”
冲田其实还只是个孩子,山南却要用死亡残酷地逼他成长。
其实,近藤让冲田而不是斋藤去找山南,是因为他希望山南可以逃走。
和近藤、总司一样,几乎所有人希望山南能逃走,山南却还是回来了。
于是,所有人都恨土方,恨《局中法度》。
但是,山南知道,土方没有错,错的只是这个时代而已。
这个一直微笑的人,即使在切腹的时候,仍然带着那样的表情,是不是也是一种执着呢?
其实,山南也是个任性的人。
任性地脱走,任性地回来,任性地让冲田担当介挫,任性地让所有坚强的人哭。
也或许,他一开始就一心求死。
想死于死之间还是死好。
不亡待尽,这个世界上什么都是死的。
只是临终前看着土方,山南或是无法介怀。
初识的某日,土方曾对山南说:“我的绳索,就交给你握住吧!我最讨厌的事,就是做出事情又后悔。所以,你就做正论的中轴吧,为了不让我偏离得太远……”
于是,山南记下了这句话,只是土方却忘记了。
人生若真的只如初见。
喜欢新撰组,已是许多年来的习惯。
这个幕末最强剑客集团有着太多传奇,太多腥风血雨。
只是,在完整啃完大河剧《新撰组》后,有了同以往全然不同的,更深刻的感慨感悟。
这份感慨不是来自于一直心怀崇敬的土方岁三,也不是天才美少年的冲田总司。
却是来自于这位一直被影视、动漫作品一笔带过,甚至未提及的山南敬助。
这位生性淡泊、温柔儒雅的先生,这位温暖犹如春水,恬淡高洁于菊的新撰组总长。】
【山崎烝】
1833年 ~ 1868年2月6日
·出身:摄津国大坂人
·新选组职务:副长助勤 诸士取调兼监察
·生平事迹
生平编辑背景真正的出生、门第、家族全部不明……
推测是大阪的针灸医生林五郎左卫门的儿子,在京都出生,因为后来有他对医学感兴趣的线索。有认为山崎蒸是新撰组队士山崎林五郎(林新次郎)的堂兄弟(义兄弟),但从林五郎本家的家谱和他的妻子在世所说的证言来看,并不能清楚地证明他们之间有真正的血缘关系。
不过根据子母泽寛的作品,认为山崎是林信太郎的堂兄弟,不过恐怕是把林信太郎和林新次郎混淆了。也有人认为山崎林五郎和山崎蒸的父亲不过是同名而已。
加入新选组正式加入新选组是在浪人队24名连名字都不知道的人中的选拔,但是第一次编组就成了副长助勤。【由此可见山崎是非常优秀的人】
山崎烝从元治元年时担任情报探索和调查队员动向的工作。
在六月的池田屋事件,身为诸士调役兼监查的山崎和岛田魁一起探查长州藩士及激进尊王攘夷派人士的动向时。追查到激进尊王攘夷派里的其中一人古高俊太郎的住宅、枡屋。枡屋就是宫部鼎藏等重要志士的密会场所,由于他们尾随宫部的仆人‧忠藏到了枡屋因而能追查到这个地点。结果新选组因此破获了这个尊王攘夷派的重要地点,进而在池田屋事件中成功的阻止天皇要被带去长州的计划 。
【这里来介绍一下山崎勘察出端倪、从而引发池田屋事件,阻止了长州藩计划的意义吧。
据说长州藩的计划有两个:带走天皇,京都纵火。
带走天皇大概是比较异想天开的吧,但是京都纵火会带来什么影响呢?
一个月以后的禁门之变给你们答案~
家毁人亡的后果。
所以说池田屋不仅仅使新选组彻底扬名,也是对京都百姓们的一个有力保护。】
因为对大坂的熟悉,所以多次以向导身份带领干部们在大坂行动。并且也由于相当了解大坂里有钱商人们的情况,所以被新选组当作宝物般地重视。
在新选组刚成立时,为了筹钱而十分的尽心。因为非常穷,逃走的士兵们很多,山崎对大阪的财主们很熟,所在在筹钱困难时候就以官员的名义去借。
之后在禁门之变、第一次长州征伐和第二次长州征伐等重要战争中彻底发挥了对战争的推测和报告战况的能力。使得近藤勇和会津藩因此能获得正确的情报。
向在新选组中作为医生而活跃的松本良顺学习医术。那个时候也会在大家面前说:“我成为新选组的医生了”来逗大家开心的一面。学习了南部精一的金疮缝合,向新缀组引进了松本颜顺的应急法。
在庆应四年一月的鸟羽伏见之战中期身负重伤。
【关于山崎的死亡:
山崎蒸水葬说是一直到明治后才由林信太郎所说出来,但那个时候他已经死了
1月13日,就在撤退回江户时,于富士山丸的船上因为高烧而在松洲病死。然后在纪州进行水葬。
在那个时候,据说近藤勇向土方岁三说:“山崎是个好家伙,那个家伙能有那么多人为他送别真是幸福”。在那之后,船长也深深的低头向山崎致意。近藤对山崎相当信任而且疼爱他。就在船上进行着水葬的时候,近藤自己肩膀上因为枪击而受的伤也开始发作,因此婉拒做为代表去朗读追悼山崎的话。
死亡的地方有多种说法,有山崎在鸟羽伏见之战中受到枪击死亡因此埋葬在陆地上的这个说法。另外也有一说是在大阪八轩家的京屋死亡的,这个在现在更有说服力一点。】
【关于山崎医术的问题是否真实:
由于想帮新撰队队士诊疗的医生松本良顺学习医术,所以在松本良顺的书中,有着他一边笑着一边说“我成为新撰组的医师了”的纪录。】
·性格:
身体魁梧,皮肤显黑,不怎么说话的人。性格温厚,有忍耐力,非常受近藤的信赖和喜欢。
回复举报|10楼2015-11-30 21:19
疏图小攻主
小吧主11
_(:з」∠)_关于山南和伊东是不是敌对的关系……其实不好说啦~
我发点东西上来给你看看,楼中楼字数不够@碎樱景界
山南敬助辞世后的一个月内,土方和近藤先后寄信回家乡多摩,但均未在家书中提到山南的死。试卫馆时期的同伴如今撒手归天,两人却闭口不谈,实在显得可疑。倒是刚上京不久的伊东甲子太郎作诗一首(四首短歌),凭吊山南。
据说此诗(四首短句)是唯一一首伊东甲子太郎为新选组队士所咏之物,伊东甲子太郎究竟如何看待山南之死? 透过此诗或许可以看出一些端倪。
山南氏の割腹を弔て
春風に吹き誘われて山桜
散りてぞ人に惜しまるるかな
吹く風にしぼまむよりは山桜
散りて跡なき花ぞ勇まし
皇の護ともなれ黒髪の
乱れる世に死ぬる身なれば
雨風によしさらすともいとふべき
常に涙の袖にしぼれば
悼山南氏切腹
春拂山樱过,风邀山樱舞。
花谢最美时,观人尤惜之。
风吹百花谢,凋瓣系枝头。
不如随风逝,若樱显英魂。
世乱如青丝,人事易凋零。
愿君留忠魂,身死卫吾皇。
纵受风雨袭,吾心亦如一。
泪常湿衫袖,思君愈悲戚。
第一首:春风吹拂,枝头山樱,正因零落,才让人惋惜。
解读:作者将离世的山南敬助比作随风而逝的山樱。山樱之“山”字与山南敬助之“山”字重合,而山南敬助辞世之时(1865年3月20日)正值京都樱花的绽放后期。山南之死,正如这樱花经春风的吹拂拍打而零落一般。但如同山樱正因零落才叫人惋惜一样,山南也正因为其一死而让队士们怀念,重新让人们意识到他在队中不可或缺的分量,暗指山南在死前,在组织中一度成为边缘人物。
第二首:(枝头山樱,随风而逝,虽让人惋惜。但是)与其在枝头枯萎,不如随风飘落,不留痕迹,更显英魂。
解读:山南的死如同随风飘逝的山樱,虽让人惋惜。但正像飘落无痕的樱花相比枝头的残花更显豪壮一般,山南毅然地选择一死相比苟活于组织中、继续边缘化,更显得英勇悲壮。此句中“在枝头枯萎”暗指其在组织中的边缘处境,或者其所寄身的组织新选组与其立场相悖,使其处境痛苦。从此句来看,山南应该是自己选择了一条不归路,但也有可能其并未意识到行将赴死,只是出于某种目的逃脱,但这一举动在伊东眼里却被解读成了英勇豪装的自发寻死行为。
第三首:你虽已告别这乱发般的尘世,步入他界,但却壮志未酬,请至少留承载壮志之魂于这人世间,完成保卫天皇的大业!
解读:这一首直接点明了山南敬助的尊皇立场。句中的“黑发般的乱世”既指当时的时局于尊皇志士而言之惨淡(当时正值1865年春,前一年的夏天,新选组在池田屋一战中使得诸多勤皇志士殒命;随后长州藩为挽回颓势进军京都抢夺天皇,在御所附近与会津、萨摩诸藩的军队交战后惨败。不久后幕府便下令征伐长州,而长州藩内部也发生变化,惧怕幕府的“俗论派”把持藩政。尊皇攘夷运动转入低谷),又暗讽诸如新选组之流的佐幕组织于当下得势,大行其道。在伊东看来,胸怀尊皇壮志的山南不幸陨于此时实在是让人扼腕叹息,所以诗中叹道“至少请将承载尊皇壮志之魂留于尘世”。
第四首:这副身躯哪怕是经受风吹雨打,我也将同你一样不折不屈。因为我的衣袖将常沾满怀念你的泪水,使我不得不去挤拧。
解读:最后一首短歌表明了伊东甲子太郎自身的立场,即怀念同道友人山南敬助,继承其未达成的遗志,坚定不移地走勤皇路线。“哪怕是经受风吹雨打”一方面表明伊东很清楚若是自己坚定勤皇立场,一意孤行地与佐幕的土方近藤对立(尽管勤皇和佐幕并非是二元对立的概念)会有怎样的下场,一方面也暗示了其在队中的处境,即虽身为组织的参谋,实际上却得不到近藤和土方的信任。
从伊东甲子太郎悼念山南的这首诗来看,山南无论是离队出走,还是自刃,酿成其死的原因主要有两个:即在组织内的处境日渐艰难,以及他坚定不移的勤皇立场。【这是伊东理解的山南脱走的原因】
至于他在新选组内部逐渐被边缘化究竟是源于和土方权力斗争的失利,还是因为他强烈的勤皇立场被近藤、土方等排斥,虽在诗中没有点明,但在笔者看来,是两者皆有的,或者换一种说法:山南和土方若是有矛盾,则这一矛盾绝不限于立场不同这般高洁单纯的理由,这是美化新选组、想要将其内部一切都合理解释之人的美好幻想,而真实的新选组,笔者认为应该更接近司马辽太郎《新选组血风录》(虽然充斥着架空人物和虚构情节)中那个混杂着权力斗争的组织,这也是笔者为什么相比《燃烧吧!剑》更喜欢《新选组血风录》的理由。
山南敬助的资料甚少,他究竟是怎样的性格,笔者不得而知,而可以想象的是,看到近藤相信土方,队内的大小事务多由土方决策,他心里定是不好受的。
至于他是不是如富泽忠右卫门日记中写的那样因为“卧病”渐离组织权力中心、被边缘化的?若是以这番“生病说”来解读伊东甲子太郎的这首诗似乎也是通顺的,毕竟“在枝头枯萎”一句可被作若干解释。
此外,末句中的“衣袖将常沾怀念你的泪水”可见伊东和山南的关系,两者皆为持有勤皇立场的同道中人,伊东的到来,恐怕真是为在组织中倍感寂寞的山南注入一丝希望,两者之间必定有着诸多的交流,绝不是几乎无交集,或者说看出山南失势的伊东还落井下石。
但要说两人如何相见恨晚,笔者认为也未必,毕竟如上文所说,那个时代的勤皇志士,不知是否是因为坚信自己的勤皇义举会留名历史,其诗集和日志多有美化自身行为之嫌,措辞夸张壮烈,还是不要一味地信凭,况且当时注重写实的自然主义之风潮还未传入日本。
以上内容选摘自博客作者:fringe界 侵删歉
【所以说伊东和山南的关系或许不像影视和动画上描述的那么糟糕~ 要说真正的矛盾,我觉得应该是山南与土方的矛盾、伊东与土方的矛盾。】
【山南温厚的性格与鬼之副长不和是肯定的,但他还是以自己的方式守护着土方,土方当初的确有拜托过山南一些话,大概是“在将来我一定还会忘掉许多事情,到时候就拜托山南先生提醒我啦”这样的,可惜在那个将来到来的时候,土方或许早就忘记了,新选组也变了,山南没有忘记土方的话,所以山南不能变。包括山南所持的信念也与土方近藤他们有出入吧,这一点跟伊东一样,勤王思想。也许山南先生是想用他的死亡,对土方岁三作最后的提醒吧。】
【伊庭八郎】
1844年 ~ 1869年5月17日
·出身:武藏国江户
·以华丽的剑技赢得伊庭之“伊庭の小天狗”的美称,凋落在箱馆的“只腕”美剑士。
·生平事迹
幕末的剑术界公认“技之千叶、力之斋藤、位之桃井”为当时最有名的三大道场。心形刀流的伊庭道场”练武馆“虽然不及它们有名,却以其别具一格的特色保持着应有的地位。
作为第八代当主伊庭秀业的长男,伊庭八郎本应继承家业,成为心形刀流第九代传人。
可是由于双亲太为儿子虚弱的体质忧虑,象对待易碎的瓷器般,小心翼翼地将八郎捧在手心,爱护备至。
在他们过于呵护的抚养下,幼年时期的八郎连竹刀都未曾握过。
幼年时的八郎喜爱读书,专心学习汉学和兰学。【文武双全的美男子~】
八郎十五岁时,父亲秀业去世。秀业的得意门生秀俊拜故去的秀业为父,以义子的身份继承了伊庭道场,并将八郎收为自己的养子。
在看到宫本武藏的画像后,由于受到激励和鼓舞,这个孱弱的少年突然开始剑术修行,一转眼间,水平已经超越了自己的养父。【八郎好厉害!通常来说这种被当做瓷娃娃一样捧在手心的少爷都是很娇弱的吧~】
不过,正因为成为剑术达人,才使其人生步上一条凄绝而曲折的道路;相比之下,若八郎依旧以病弱之躯,终身不用握剑,安安静静地渡过一生,对他本人而言,也许反而会幸福一些。
一八六四年(元治元年),伊庭八郎作为奥诘队五十名队员之一,随同将军家茂去了洛中和京都。奥诘队的任务是担任将军的护卫,工作非常轻松。他们在洛中与京都遍访名胜古迹、尽赏珍馐佳肴,过着游山玩水的惬意日子,并留下了记录《征西日记》。从他们的生活方式来看,实在无法想象当时的京都实际上是被“天诛”暴风席卷的多事之町。
在二条城进行的御前比武中,皮肤白皙,外形如演员一般的八郎以华丽的剑技将讲武所的强手一一击败,他的英姿攫取了年轻的将军家茂的目光,家茂为此特地赐言褒赏。
好景不长,不久之后家茂死去,庆喜当上了将军,奥诘队的地位一落千丈,成了游击队。
时值大政奉还、王政复古,风起云涌。幕府军成为“朝敌”,爆发了鸟羽伏见之战。在战斗中,八郎率队展开游击战,萨长联合军为之阵脚大乱。可是,激战中途,八郎因吐血脱离了战线。
【这满满的总司即视感是怎么回事,你们俩结婚去好了……
关于八郎吐血的原因:
有说是因为劳咳(肺结核),或是中了枪弹,也有说是由胃溃疡引起的。不过,并非危及生命的重症。】
因为不是重症,这孩子又带领游击队绕到敌人背后进行突袭,在箱根展开战斗。一位年轻英俊的剑士立于阵前,指挥游击队冲锋陷阵,实在太过引人注目。敌人的炮火对八郎进行集中攻击。八郎的左腕负了重伤,不得不作截肢处理。【卧槽,这是天妒红颜吧】
尽管如此,独腕的八郎还是带队与江户的榎本武扬会合,乘船朝北进发。然而,他所搭乘的美贺保丸号从品川冲出海,两天后不幸触礁沉没,溺死者甚众。但八郎并没有死在海里。引咎自责的八郎想要自尽,被旁人阻止。
三个月后,他搭乘一艘美国船只,去了虾夷。此时的八郎已经心如死灰。他吟出了哀伤的辞世之句:“少待片刻啊,先行而去之人;虽迷途但愿能顾念旧友,垂一顾渡我这碌碌之身。”此句终于言中。
在木古内的战斗中,八郎为敌方炮火击伤,被医院收容。纵然如此,八郎奄奄一息的生命之火还苟延残喘了整整二十天,痛苦不已的他最终选择了服食吗啡自杀。他去到另一个世界的同伴身边后,仅仅过了六天,榎本武扬就缴械投降了。
【不知道该多说什么,至少如果换做我,比起坚持着信念战斗到最后,我肯定会选择拥有被呵护的一生。八郎尼桑的选择我不能说赞同,但是我真的敬佩这样的人,用二次元的话来说,他大概就是那种背景会发光的男人吧】
【坂本龙马】
1836年1月3日 ~ 1867年11月15日
·出身:四国土佐(今日本高知县)
·日本明治维新时代的维新志士,倒幕维新运动活动家,思想家。【这满满的历史/政治课本即视感是怎么回事……】
·坂本龙马第一个提出“日本国”的概念。
·日本历史上第一个穿靴子的人
·坂本龙马是第一个带新娘蜜月旅行的日本人。【同志们你们还犹豫神马,攻略这孩子可以度蜜月!】
·坂本龙马是第一个以万国公法与外国公司打官司并且胜诉的日本人。
·身高6尺(约182cm。研究也有龙马身高是174cm或169㎝的说法)在当时的江户时代可以说是一名巨汉。
·小时候前往游泳的途中下起雨来,朋友问他说“已经下雨了还要去游泳吗”,龙马回答“弄湿身体和下雨有关系吗”然后就这样跑去河川游泳了。
·家庭情况:
龙马是八平的次子。
父亲八平
母亲幸
继母伊与
哥哥权平
大姐千鹤
二姐荣
三姐坂本乙女
妻子楢崎龙
未婚妻千叶佐那子
孩子太郎(收养,千鹤的孩子)【瞩目】
·生平事迹
关于出生:
据说其母怀孕时梦见云龙奔马在腹内飞腾,因而取名龙马。他是坂本家最小的儿子,父亲为还有一个大哥(权平)及三个姊姊(千鹤【噗哈哈,风之章攻略龙马的时候龙马酱会脑补自己的姐姐吗】、荣、乙女【这名字起得也真随便,坂本少女吗……】)。因此,龙马和其它大部分维新志士不同,一是身份低微,只是个乡士,再就是非常有钱(才谷屋是土佐数一数二的大商家)。
关于剑术:
坂本龙马出生的时候正是幕府末年西方资本主义入侵,日本处于空前民族危机的时代。此时日本有识之士国防意识高涨,为了保卫日本,武士们重新开始修练武术。青少年时的坂本也不例外,在住家附近的小栗派剑客日根野辩治的剑术馆学剑术。这里聚集着下级武士的子弟,毫无拘束,自由空气浓厚。
1853年19岁的坂本到江户,进入京桥桶町的北辰一刀派千叶定吉的剑术馆进一步修剑术。他牢记父亲的告诫——不忘忠孝修行第一,不移心物质浪费金钱,不沾色情忘记国家大事,专心一致学本领。
两年后,取得老师的秘传证,并把户籍迁到千叶定吉剑术馆,定居江户。
安政四年(1857)土佐藩主山内容堂在江户举办武术比赛会,数十名剑客参加比赛,坂本和岛田驹之助比赛获胜。当时的剑术馆不仅是练武场所,还是政治学校,来自各藩的青年议论国家大事,日本究竟如何对待外敌才好。他们为了证实自己的议论,遍历各国(藩)收集情报,再回到江户作为讨论的材料。【土佐藩的武市瑞山、长州藩的高杉晋作和桂小五郎就是这样的青年。】
【看到这里不禁想感叹了,果然生长环境不一样会带来完全不同的人生啊,假如新选组的诸位或者其中某位修习剑术的场所是和坂本一样的话,或许他们所持的信念就会截然不同了。】
文久元年(1861)武市瑞山在江户的藩邸组织土佐勤王党,并回土佐扩大组织,有200多人参加,坂本是其中之一。
1862年1月坂本代表土佐勤王党领袖武市瑞山到长州会见长州勤王党领袖久坂玄瑞,并探听天下形势。
关于脱藩:
1862年3月回藩以后便毅然脱离藩籍。当时脱藩是犯重罪,不但本人要处死,还牵连家族。
因坂本脱藩,他的姊妹乙女不得不离婚,送名刀给坂本的姊姊荣自杀,兄权平花了很多钱总算免难。而他自己则离开土佐藩以后便成为一个职业革命家。
幕末脱藩的人所走的唯一道路是暴动举兵,如掀起“天诛党之乱”的武力讨幕先驱者吉村寅太郎等,有强烈的功名心。
但坂本脱藩不是为了功名,而是为了摆脱充满反动势力的土佐藩的束缚,思想和行动上获得自由。因此坂本脱藩后不跟吉村寅太郎走,而周游九州,经大阪到江户,拜见幕臣胜海舟,跟他学航海术。
武市瑞山作诗赞叹他的果断的脱藩行动:
肝胆元雄大,奇机自涌出。飞潜有谁识,偏不耻龙名。
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